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社会人前夜:(後編) クレイジーな会社

前編はこちら

1999年の春、Apple に内定をもらいました。

当時のAppleは現在とまるで違って、いつ潰れてもおかしくないマニアックなメーカーだったので、他の優良企業の内定を蹴ってそこに行くというと、周囲はこぞって反対しました。

アナウンサー試験がだめだった瞬間から故郷に帰って見合いをすることを勧めてきていた母には「ビル・ゲイツじゃないパソコンの会社なんて、負け組じゃろ?」と言われました。他の人も口にしないだけで、多分似たようなことを思ってるだろうなと感じていました。

賛成......というか、かろうじて背中を押す言葉をくれたのは父だけでした。「こんな時代に何個も内定もらうなんて、でえれぇことじゃ、好きなところに行きゃあええ」と。

娘を東大にいかせておきながらおもしろい両親でしょ。わたしが人格的マイノリティであることの原点はこの辺にあると思うのですが、この話を堀りさげると長くなるので、また別の機会に。

たまたま同級生から「Appleがウェブで募集してる」と聞き、「ウェブエントリーってどんなのかな」という好奇心で、その足で情報処理センターに行って応募したのがきっかけでした。そこでは、名前、所属大学、連絡先と簡単な志望動機くらいしか書くことはありませんでした。

当時、インターネットといえば「ピ〜キュルルル〜」という宇宙音を聞きながら忍耐強くページの表示を待つアナログ回線。就職活動のウェブエントリーはまだ珍しく、ウェブテストもSNSもありませんでした。

スマホが世界を塗り替える前にはそれでも革新的だった「iMode」が同1999年2月開始。ネット掲示板の「2ちゃんねる」が同5月創設。ブロバン普及に一役買った「Bフレッツ」のサービス開始が2000年 。のちに転職してお世話になる、Googleの日本法人設立が2001年。当時、検索エンジンといえば、まだLYCOSやAltaVistaでした。

思えば、1999年の春はまだ、ネット時代の夜明け前でした。Appleに就職することを決めた理由は前編に書いたとおりなので、わたしに先見の明があったわけではありません。

自分用のパソコンさえ持っていませんでした。Appleは、1998年にボンダイブルーの初代iMacを発売して、ロゴもシンプルなものに変えていたのですが、頭の中にあった「かわいい」のイメージは、実はベージュの筐体に7色りんごのロゴ。それがバレてたら採用されていなかったかも。

それでも、説明会、筆記試験、一次面接、「いい会社とは」をテーマに話すグループディスカッションを経て、思いがけず最終面接に残った時には、さすがに慌てて大学の社会情報研究所にあるiMacを触りに行きました。システム管理者の方の助けを借りてその端末でホームページを開設しました。最終面接で「昨日、Macで自分のホームページ作りました!」と言うために。ふるえることに、本当にそれを言ってしまったと記憶しています。ドヤ顔で。

それが、なぜ採用されたのか?

入社後に教えてもらった、2000年春入社の3人(1999年秋の2人も入れると、その年の採用は5人でしたが)の最終面接通過の理由は「議論の姿勢がそれぞれ、一番極端だったから」とのことでした。最終面接では、途中で面接官が、それまでの学生の発言を全否定するというパターンが仕掛けられていたらしいのですが、その時、

(A) 一番最後まで自分の主張を変えなかった学生
(B) 一番あっさり自分の意見を棄却して、新しい視点で話を始めた学生
(C) 一番粘り強く「そうかもしれませんが、自分が思うには」と接点を見つけようと頑張った学生

そういう、姿勢が極端だった3人を採用したのだと説明されました。

一般的には「型」にハマることが重視される就職活動のなかで、そんな採用基準とはさすが「Think Different」の会社。採る側も、行く側もクレイジーだった時代でした。

ちなみに、面接でそんな議論あったっけ?と、全く思い出せなかったわたしは(B)だったそうです。

1997年のこのCMは、いまみても本当にかっこいいので、是非どうぞ。

なお、念の為これからAppleを受けたいと思っている学生さんがこれを読んでいたら大変なので補足すると、今はさすがにその採用基準はないだろうと思います。会社のステージが全く異なるし、マネジメントの顔ぶれも総入れ替えになっているので。

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