史上最も重たいR2。[LAST OF US part 2ネタバレ感想文]
LAST OF US part II(以下LOU2)。それは史上最もR2を押す(あるいは引く)ことを考えさせるゲームだった。
パート2への期待と懸念
「続編は総じてクソ」という世界共通認識のレッテル。LOU2も(前作が最高に面白かったこともあり)、それを超えることはできないだろう、という思いの中でゲームを始めた。結論からいうと、それはいい意味で大きく裏切られることとなった。
大胆なシナリオ
まず、冒頭でジョエルが死ぬ。前作でランボーばりに一騎当千で大立ち回りをやってのけたジョエルを、あっさり殺させる、大胆なシナリオ。
ある種プレイアブルキャラ特有の、絶対死なんやろこいつ感を一気に現実に引き戻す感覚を味合わされた。ここから、ゲームキャラをリアリティのある一個人として描くためのマインドを作らされていたように感じる。
そしてエリーはその敵討ちに奔走することになる。
視点を生かしたストーリー構成の妙
エリーはジョエルを殺した犯人たち見つけるため、バイセクシャルのディーナ(エリーはレズビアン?)と共にシアトルへ向かうわけだが、もちろん道中は楽ではない。前作同様に、感染者はもちろん、WLFという犯人が所属する自警団のようなグループや、スカーと呼ばれる過激派カルト教団らの攻撃にあいながらも諦めず犯人を追い詰めていく。
そしてようやく、ジョエルを殺した張本人、アビーと再び相まみえることになる。ジョエルの仇との直接対峙。側には、ジェシーというエリーの友人がアビーにヘッショを決められて横たわり、ジョエルの弟であるトミーが足蹴にされている。この時点では、僕のマインドは無論エリー視点になっており、許すまじ光景が目の前で起きているわけだ。アビーは完全に悪役この上ない。ジョエルを殺したことに理由があろうと関係ない。この時点で「アビーを殺しますか?」と問われたならば、即答でYesを押せる。
しかし、そうはならない。
なぜならその後に、アビー視点での追体験、アビーの過去編が始まるのだ。
敵側の視点に立つこと
アビーの父は、医者だった。それも、エリーを手術して抗体を取り出そうとしていた。そう、前作ジョエルが刺し殺した、あの医者。むしろほぼモブレベルでしか描写がなかったあのキャラの娘がアビーだった。追体験の中、ジョエル(自分)が皆殺しにした病院の中をアビーとして歩き、手術室に向かうなかで、僕のなかにある感情が芽生える。
すまん、それやったの僕です
と。アビーに自分(ジョエル)がやったことを見せたくない、と。
これこそが、このLOU2の真髄であると僕は思う。
その後、様々な追体験をしていく。アビーの友人であり、特別な存在だったオーウェン、そのオーウェンとの子を宿すメル。ストーリーの大筋には関係しない、様々な思いや記憶の追体験が、アビーというキャラクターにリアリティを持たせていく。
ゲームならではの追体験
ここまでならいわゆるよくできた群像劇レベルの脚本といえばそうかもしれないが、これは映画では絶対に体験できないレベルの追体験だ。
なぜなら、操作をしているのが自分だから。
アビーを操作しているうちに、どんどんとアビーの中に自分が入っていく感覚がある。それは、ある種吊り橋効果的な側面もあるのかもしれないが、苦境を抜け出したときに自分が嬉しくなると同様に、アビーに対しての親近感も湧いてくる。
そうして苦難を超え、仲間の死を目の当たりにし、アビーに感情移入しきったところで、極め付けのシーン。
エリーがオーウェンとメルを殺すのである。
エリーには明確な殺意があった殺害ではなかったが、アビー視点では単純に、二人の死体が無残に冷たい床に転がっているだけである。
エリーに殺意を覚えてもなんの違和感もない。むしろ至極当然な所業である。
コペルニクス的転回
アビーはエリーを殺すためエリーを探し出し、時はエリーとアビーが相まみえるシーンへと再び戻っていく。
普通の(特に前作既プレイの)プレイヤーであれば、そこからはエリー視点に戻るであろうと予想したエリーとアビーの対峙。しかし、そこからのバトルはアビー視点でプレイすることになる。エリーに銃口を向け、後ろから忍び寄り殴りかかる自分はもはや一体なんのために戦っているのか。正義の所在を問いかけられ続けているようで、あまりに苦しい、救いのない戦い。それはまさしくLOU2で表現したかった戦いなのだと思う。敵だと思っていた正義のために、正義だと思っていた敵と戦わされるプレイヤー。
何が正しいかは自分で考えろ。
そう語りかけてくるようだ。
そして普通にやっぱ強いエリー。強い敵は憎たらしくなってしまう悲しいプレイヤー(自分)
結局アビーが自慢のぶっとい腕でエリーをボコボコにするわけだが、トドメを刺すことなく、エリーに「2度と姿を見せない」ことを約束させ、去っていく。
ここが、アビーとエリーの分岐点になる。
未来をみつけたアビーと、過去に生きるエリー
数年後、エリーはディーナの子供JJ(ジョエルとジェシーの頭文字かな?)と3人で幸せな家庭を築いている。しかし、PTSDのように纏わり付くジョエルの死に様が未だにエリーの心を縛り付けていた。
トミーも同じように、アビーたちにやられた傷で歩くことも満足にいかないなか、未だ復讐に囚われ続け、家庭も崩壊してしまう。
トミーにアビーたちの目撃情報を聞いたエリーは、ディーナとJJを置いて復讐へと再び向かってしまう。
プレイヤーに"やらせる"脅迫性
僕としてはエリーにはディーナとJJと普通に仲良く暮らして欲しかったのに、という思いとは裏腹に、エリーは復讐の道をあゆみ続ける。この時点で僕の感情は完全にキャラクターの外側にあった。満身創痍になりながら、アビーを追い続けるエリーは見ていて痛ましいが、ゲームという性質上、エリーとなって戦わせ続けなければならない、ある種の脅迫性を感じながら進めていくことになる。
最終的にアビーに左手の指を食いちぎられたりしながらデスストランディングの殴り合いシーンみたいな拳の語り合いがあったのち、エリーがアビーの首を押さえて海に沈めるシーン。
殺して欲しくない
と心底思ってしまう。それをしてしまったら、もう幸せなものなど見つけられない。そう思わせる絶望感のあるシーン。
最終的に、手を緩めアビーを見逃すエリー。ようやく前を向けたのだなと心の底から安堵した。
容赦のない絶望
しかし、ディーナとJJの待つ家に帰っても、誰もいなかった。復讐に取り憑かれたエリーを、迎え入れてくれる人はもう誰もいなかったのである。
誰もいなくなった家で、時が止まったように昔のままの部屋のなかで、ジョエルに教わり、JJに「大きくなったら教えてあげるね」と約束したギター。1人それを弾こうとしたエリーは、食いちぎられた指ではコードが押さえられないことに気付く。
僕はここで号泣した。
あまりにも悲しい演出。セリフがあるわけでもないのに、全てが取り返しのつかない間違いだったかのような印象を叩きつけられた。
過去を断ち切って前を向こうとしただけなのに。
以上が大筋のLOU2のストーリー。以降はよりマクロな部分においての個人的な感想や考察をダラダラと書かせて欲しい。
なぜエリーは同性愛だったのか
本作のテーマとして、「未来を見据えること」VS「過去を断ち切ること」が大きなテーマに思えた。「我が子を守り、共に未来を生きる」という別ルートを表現するために、我が子がストーリー上必要だったが、エリーはバリバリに武闘派だ。自分で妊娠し、出産するのはおそらくストーリー上無理があるし、どちらかというと父親側に立たせればジョエルとのリンクさせることにもなる。そこで同性愛者とすることで、女性であるエリーにもその役を担わせることができたのだろうと思う。
エリーはなぜ過去に縛られたのか
レブと共に生きる未来を見据え、エリーを殺さなかったアビーと比較し、あくまでも復讐に囚われ続けたエリー。なぜエリーは負の連鎖を立ちきれなかったのだろう。
アビーとエリーは決定的に違う要素がある。世界を救える抗体をもつ自分の存在意義が失われたことによる自暴自棄な気持ちがあったのは間違いない。しかし、それに加えてもう一つあるのではないかと思う。
おそらくそれは、開発者からユーザーへのメタ的な心理ではないかと思う。
前作では、「VS感染者」が知らぬ間に「VS人間」に置き換わっている恐ろしさはあったが、今作ほどプレイしている僕らが「人間を殺す覚悟」のようなものを感じさせるものではなかった。
その僕らの殺す覚悟のなさと同じものが、エリーの感情の根元にあるのではないか。僕が殺していたのはただのモブキャラであり、一個人ではない。そういった麻痺した感覚が、「なんであんな奴らのせいでこんな目に合わなきゃいけないんだ」という恨みに繋がっていたように思う。だから、ジョエルが死んだ時、前作をプレイしていた人たちはきっとアビーに対して怒りを感じたと思う。
だが、病院で医者を撃つ時、今作の内容を知っていたら、「人を殺す覚悟」をもって撃っていたら、きっとジョエルの死も因果応報なんじゃないかと受け止め、未来に生きることができたのだと思う。
それぞれの正義
もう一つ大きなテーマとして、正義とはなにかを問うストーリーが多かった。それはLOU前作もそうだったし、いわゆる紋切り型の勧善懲悪でないRPGは少なくない。しかし、LOU2のリアリティは圧倒的だった。それはエリーとアビーというプレイアブルキャラだけにとどまらない。それぞれのキャラクターがそれぞれの思いのもとそこに生きているという実感を持たせているのは、脚本と演出の妙である。本筋とは関係のないやりとりや、遺物のメモの書き方ひとつとっても、オブジェクトとして配置してある死体の殺され方ひとつとっても、物語にディテールを足してくれる。WLFの正義、スカーの正義、そこらへんにいる構成員一人ひとりに名前があり、正義がある。モブなんかいない。そういったことを真剣に感じられるように作られている。
脱帽。
自分が撃ち殺したWLFのメンバーの名前を、刺し殺した犬の名前を悲痛に叫ばれれば、否応なしに感じる罪悪感は、ここまで作り込まれていなければ感じられない罪悪感だろう。
やったのはお前だ
そしてそれは、ストーリー上に関わってくる。
エリー視点で水族館に向かった時、突然襲ってくる犬を殺し、オーウェンと妊婦のメルを殺すシーン。エリーはアビーの居場所を聞くためにオーウェンとメルを尋問するが、抵抗にあい止むを得ず殺害してしまう。ストーリー上そうしないと前に進行できないが、□ボタンを押して実際に殺すのはプレイヤーである自分(エリー)である。
やがてその惨状をアビー視点で追体験することになるのだが、その頃にはその犬にはアリスという可愛い相棒であり、オーウェンはアビーの特別な人であり、メルは複雑だけど大切な仲間になっている。
僕は妻が横で見ていながら一緒にLOU2をプレイしていたのだが、妻はエリー視点でのアリス、オーウェンとメルを殺すシーンを見逃していた。僕がアビー視点で水族館に着いた時にハッとエリーで彼らを殺すシーンを思い出し、「アリスとオーウェンとメル、そういえば殺したわ・・・」と言うとガチでドン引きしていた。
「妊婦殺すとかありえない」と軽く罵られたが、ストーリー進行上しょうがないじゃん!とも思いつつ、でも実際に殺したのは僕なんだよなぁと思わされた。
そう、僕とエリーとアビーは引き金(R2)で繋がった共犯者なのだ。と言われている気分になる。
めちゃくちゃすごい
視点や時間軸をあえて行ったり来たりさせることで、僕の感情はエリー側にもなるし、アビー側にもなるし、第三者的な、いわゆるプレイヤー側にもなる。どこに正義の所在があるか、はたまたそんなものこの世にないのか。そんなことをずっと問いかけられる作品だった。
ゲームとして難易度も最高にちょうどいいし、欠点が一つも見当たらない。
間違いなく今年最高、いや、今までやった僕ゲーム史上最高のゲームかもしれない。
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