綺麗なおじさんになりたい
電車の中はくたびれたサラリーマンでぎゅうぎゅうになっている。社会人になって1年が経ち、毎朝自分がその一員になることに特に何も思わなくなった。朝の電車自体は高校生のときから利用していたが、20分ほど早いだけで車内の平均年齢がこんなに上がるなんて知らなかった。
不自然に膨れたおじさんのお腹が右腕にあたる。その体型になるまでになんとかしようと思わなかったのか。僕と左肩と擦れ合う別のおじさんの右肩にはフケが溜まっている。それ会社で嫌われないんか。ドアップで顔面を見ざるを得ない正面のおじさんの飛び出た鼻毛とか頬の妙なところから飛び出た長い毛は、きっとドアップじゃなくても見えるのだろう。不快ではあるがこれが日常なので特に耐え難いわけでもない。本当に耐え難いのは、自分が10年、20年後に不快に思われる側になることだ。
社会人になって働くことの難しさと並んで実感したのは、歳を取ることの難しさである。もちろん歳なんて1歳また1歳と勝手にとっていくものだが、その気づけば増えている歳に自分が合わせることは実に難しい。若さとは偉大で、学生のうちは何を好きになって何をしても許されるような気がしていた。
ところが、1枚壁を超えて社会人になると、途端に何をしても許されないような感覚になる。学生でもないのにこんな服を着て良いのか。社会人なのにこんな音楽を聴いて良いものか。思い悩みながらも結局は2年前と同じ服を着て5年前から好きな音楽を聴いている。まだ良いか、まだ良いかと自分の中で心地の良い感覚に合わせ続けていると、そのうち実年齢との乖離が激しくなるのではないかと恐怖する。そうしてすっかり若作りおじさんだとか言われる30歳になってしまうのかもしれない。
一方で着実に身嗜みなどに無頓着になっていく自分がいるのもわかる。入社直後は髪の毛を根本から濡らしたのちブローしてからセットしていたが、最近では寝癖だけを適当に落ち着かせたぱさぱさの前髪をとりあえずワックスであげている。ぺしゃりとした今の頭を入社直後の自分に見せたら、頭の脂でも使ってセットしているのかと軽蔑されるだろう。
それでも一応最低限は整えているつもりだし、会社の人に何をアピールするわけではないからこれで十分だと思う。だがこの「十分だろう」が積み重ねっていくと、きっと肩にフケは溜まり、身体はだらしなくたるみ、顔の変なところから毛が飛び出てくるのだ。そうなれば、妻には煙たがられ、娘には洗濯物を別にされてしまうのだろう。もっとも、それは汚くなり切る前に結婚できたときの話だが。
社会人2年目はもう始まっている。ついこの間大学を卒業したばかりという感覚でも確かに歳をとってしまっているのだ。人間は変化を嫌う生き物とは本当にその通りで、好きになったものは好きなままだし、新しい習慣を生活に取り入れることはとても難しい。だが歳を重ねることを受け入れて、年相応の綺麗なおじさんになるにはやはり小さな挑戦を続けるしかない。そうしないと見た目は不潔なおじさん、服は大学生、好きなバンドはBUMP(~2010年くらいの曲しか知らない)のお化けになってしまう。
好きなものを嫌いになれとは言わない。ただ、少し付き合い方や向き合い方を変えて、熟成させていけば良いのだと思う。その「守り」の一方で、揚げ物を避けるとか、学生の時より逆に美容に気を遣うとか、「攻め」も必要だろう。全く上手に歳をとるのは難しい。
そういえばBUMPについては年々落ち着いた悟りソング方向にシフトしているのでこのまま堂々と聴き続けても良いかもしれない。むしろ、BUMPに合わせながらおじさんになっていけば良いのではないだろうか。みんな、BUMPはいいぞ。
P.S. RADは歳を取らないので尺度にはならない。