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東尋坊から飛び降りる


 今年の夏に2019年から約5年半勤めた会社を辞めた。アプリだけ入れていた転職サービスを開いてみたら会員登録年が2019年で笑ってしまった。そうだ、新卒の就活では理想を叶えられたとはとても言えず、社会人生活には常にうっすらと会社をやめる選択肢が漂っていたんだ。

 あとついでに実家も出た。幸福なことに実家が都心へのアクセスがよろしい駅なので、出る必要はなかった。
 それでも次の職場が少し遠かったと、自分ひとりの部屋を拠点に生きてみるというのは必要だと思ったし憧れがあったので、ぬるりと出た。

 思えば「いつか転職する」「いつか実家を出る」この2つが精神安定剤のように作用してくれていた。
 自分はなりたい自分になれなかったのではなく、まだその途中の蛹であると言い聞かせるような感覚だ。仕事も家も変えることができるんだから、きっともっと幸せな生活がある。この2つが交わるところに理想的な自分の虚像を結んでいた。

 一念発起して転職活動を始めたときはジョーカーを切ったようで震える想いだった。
 とはいえ実際にはゲームに参加したような段階なので、その先には内定をもらえるまでさらにヒリッヒリの約2ヶ月が待っていた。

 そういえばずっと言っている理想とかなりたい自分とか、なんだったんだっけ。

 転職中の2ヶ月間は「死にて〜〜」とよく思っていた、口に出していたこともあったかもしれない。
 死にたいわけではなく、全てを放ってしこたま遊びたい、もしくは楽して幸せになりたい気持ちが休まらないスケジュールの中でこのうえなくネガティブに発露された。
 

 転職活動が終わって東尋坊に行ってみた。死にたいとよく頭に浮かんでいたから、自殺の名所と呼ばれるここがどんな場所か気になったからだ(福井には他に行きたいところもたくさんあったので、ただの福井観光旅行だけど)。

 9月になったばかりのよく晴れたとてもとても暑い日のことで、平日ながらそこそこ人がいた。商店街の入口付近にある海鮮丼屋さんでは優しい女性店主(?)が丁寧におすすめや食べ方を教えてくれた。

 そこから少し歩いていくと一面の岩壁と深い青の海が穏やかに輝いているのが見えた。ファミリーやカップルが楽しそうに岩に立って写真を撮っている。
 少なくともその時には、グレーの荒波が逆巻いて切り立った断崖絶壁に当たり砕けるような険しい自殺の名所はそこにはなかった。強いて言えば、良い意味で死に場所にふさわしい綺麗な場所だと思った。

 退職を新たな門出として送り出してくれる職場の同僚や上司がいて、帰る家もあるから呑気に観光にきて、綺麗だなあと思える。十分幸せだったのに、滅多なことは思うもんじゃないなと反省した。

 福井から帰ってきたあとに、おっかなびっくり一人暮らしをはじめた。家電や家具を一式揃えてひと安心していたが、何か家事をひとつするごとに開けた袋を留めるクリップみたいな小さなものが全然足りないことに気づいて驚く。

 やることは多いけど、決まった時間にこなすルーティンがバンドのベースやドラムみたいにリズムをとってくれているようで生活が規則正しくなり、1日がかえって長く感じる。

 こんな例えが出てくるのは学生のときにはベースが趣味だったから。大学生になったらバンドを本格的にやろう、と思って高校のころからコツコツ買い揃えていたエフェクターはついに日の目を浴びることはなく引越しの整理対象になった。バンドをやっている自分もなりたい自分のひとつだったなとぼんやりと思った。

 理想が何かとか何をしている自分になりたかったのかとかの答えは出ているような出ていないような、正直微妙なところである。それでも、新しい何かが掴めそうだし少しでも理想に近づける気がしたから、次の仕事にチャレンジをしてみようと決めた。

 これを書いている次の日から新しい仕事がはじまる。転職活動をしていたときは夏まっさかりで毎日汗だくだったけど、ずいぶん涼しくなった。大変なことがたくさん待っているだろうけど、意外と楽しみだとも思っている。



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