石丸伸二氏はダメなやつなのか?
前回より盛り上がった都知事選
2024年七夕に行われたおこなわれた東京都知事選挙。
私も東京都民なので当然選挙に行った。
投票率は60.62%と前回より5.62ポイントも上回り平成以降2番目に高い結果となったそうだ。
また今回はテレビや新聞といったオールドメディア(とここでは呼ぶが)の影響力よりも、YoutubeやX(Twitter)、Tiktokの影響が顕著に表れたという分析もいくつかある。
大方の予想を覆す?石丸氏2位の結果
オールドメディアよりもネットとの力が顕著に出た根拠ともいえるのが、
石丸氏の躍進。
彼はYoutubeやX、TiktokなどSNSを中心に広報活動をしていたようだ。
今更いってもほら吹きにしか思われないが、実は私は妻に開票前に結果予想を話しており、6位の内海氏以外は1~7位まで当てていた。
石丸氏は2位にくると思っていた。
別に厳密に分析したわけではない。
ただ彼はYoutubeで影響力の強いインフルエンサーと対談、政治・経済系で人気のチャンネルに多く出演しており、そして沢山の再生数があった。もちろんほかの候補者も動画はあったが、石丸氏が一番に見えたからだ。
Xのビュー数、反響を見ても石丸氏の多さは際立っており、
「悪名は無名に優る」
ではないが、彼は良くも悪くも注目されておりSNSやネット上ではとにかく目についた。そう、うざいほどに。
気になるあの発言
結果彼は蓮舫氏を抑え、しかも37万票近くの差をつけて2位という結果。
だが彼の評判はとにかくバラバラだ。
Xでは批判的なコメントが目につきやすい。
安芸高田市・市長時代のマスコミや市議会での彼の態度はもちろん、選挙違反、フェイク広報、都知事選後のオールドメディアやコメンテーターへの対応などなど。
「他責思考」と「パワハラ」気質とまとめられるかもしれない。
たしかに彼の動画をみていると、「こいつ何言ってんだ?」というものが多い。私もこの人が上司だったら会社辞めるかもしれない。
ただそんな彼の言葉で2つだけ引っかかっているものがある
ひとつは安芸高田市時代の2024年5月10日臨時記者会見での一幕で、
「民主主義において政治の成功も失敗も、全部有権者に帰するのはわかっていますよね?」
「市長を選んだのも市民」
そしてもう一つは選挙後のテレビ番組で、結果について
「結果はあくまで都民の総意が可視化されただけ、都民において勝ちも負けもない」
記者やアナウンサーはまさに面を喰らっていた感じだが、これについても結構叩かれていた。
確かに彼は自分の責任を我々に他責しているように見えるからだ。
が、個人的にはこの話については、
彼が言わんとしていることがなんとなくわかる気がした。
帰ってきたヒトラーの映画から思うこと
選挙後も色々と盛り上がっている界隈ではあるが、その一つに「帰ってきたヒトラー」の映画の話があった。
私もこの映画を観たが、考えさせられる映画だ。
一応コメディなのだが、初めは笑っていてもどんどんヒトラーに引き込まれ、最後は恐ろしさを感じる作りになっている。半分はドキュメンタリーであるところも引き込まれた要因なのかもしれない。
そしてこの映画を見てみるとわかるが、
今回の都知事選の一連の現象と、この映画の内容は共通項が多い。
映画では、はじめは彼を笑っている人も多く、その面白さから数字を取ろうとおもったTV局が取り上げ、変なこと言っているがなぜか無視できない。
だんだんと周りが引き込まれ、賛否両論ありながら、SNSでも盛り上がっていき・・・
そして映画の彼もまた、
先ほど述べた石丸氏に近い意味合いのセリフを話している。
映画では「国民が求めることを実行する」という彼のセリフが何度か出てくる。
身代わりになってくれる人
帰ってきたヒトラーの映画を見た時、
私は攻殻機動隊の2ndシーズンを思い出した。
攻殻機動隊の2ndシーズンでは移民問題を中心にしながら、
英雄・革命家とは何か?というシナリオが展開されていく。
その中で、
「多くの国民が思っているが、声を大にして言えないことを代わりに代弁し実行してくれる人」
を英雄や革命家として位置付けていた。
今回石丸氏を支持した人の中で特に注目されたのが10~20代においては、
トップの支持率だったそうだ。
確かにXのほかにYoutubeやTiktokを見てみたが、
肯定的なコメントもかなり多かった。
彼を買いかぶりすぎかもしれないが、彼は反オールドメディア、反政府、反年配層といった昨今目立っている言論に賛同している層に対して、単なる代弁者に徹しているだけなのではないだろうか。
そう本当に自分は単なる代弁者だと心底思っているのでは?
と考えてしまう。
そう思えば、前述した彼の発言もうなずける。
言い方は悪いが、思っているだけで実際に行動できない人の代わりに私が動いているんですよ。
だからその結果何があったとしても、あなた方が私を選び、
代わりに行動させたんでしょ?と。
あなたたちが望んだものを行動した結果なんだから、
あなたたちの責任でしょ?と。
映画のヒトラーも同じようなことを発言している。みんなの一部に私(ヒトラー)はいる。選んだのは君たちで、責めるならその選んだ人達だと。
選んだ行く末
最近は世界情勢はとにかく不安定だ。
戦争・紛争はもちろん、起因するエネルギー・インフレ問題、
世界中の移民問題。
ナチ党の躍進のきっかけは世界恐慌だったそうだ。
過去の傾向を見てもインフレ時代は政治の混乱・転換が起きやすいらしい。
社会が不安定になり、みんなの心には鬱憤が溜まっていく。
排斥思考になっていき、そしてその鬱憤を晴らしてくれる代弁者にいつしか熱狂していく。
日本が太平洋戦争に突入する前、
海軍関係者などはアメリカには絶対に勝てないとわかっていたようだ。
でも世論が弱腰をゆるさなかった。
今の私たちからすれば「勝てるわけないだろ」ということが、
当時の人達は盲目的になり、わからなかったのかもしれない。
なんにせよ日本はアメリカに戦争を仕掛けるわけである。
石丸氏に都知事が務まるかどうかは、私にはわからない。
別に彼がヒトラーだとも、もちろん言っていない。
ちなみに私は石丸氏に票はいれていない。
ただ彼の言った「責任は有権者に帰する」という意見は今一度考えるべきではないだろうか。
政治家は結局、代弁者でしかないと思っている。
その国に本当に必要なことではなくて、
国民が求めることを実行する人のほうが圧倒的に多いのではないか。
(もちろん国民に批判されようが、本当に必要なことを実行する政治家もいるとはおもうが)
ではその国民の求めるものというものは正しいのだろうか?
フェイクも含めた沢山の情報がすぐに取得できる昨今、
我々は自分たちに本当に必要なことを正しく認識できているのだろうか?
自分は違うのか?
選挙戦前、自宅に各候補の公約が掲載された新聞が届いた。
そもそもNHK党が枠を複数ジャックしていてうんざりだったが、
候補者が56人いる今回は、特に見るのにうんざりしてしまった。
結局オールドメディアやSNSで注目されている候補者だけに注目する。
しかもその中でも自分の考えから「遠そうと思われる」候補者の公約・活動もあまりみない。
見るとしても「否定的・批判的」な意見ばかりに目がいってしまう。
各候補の公約内容をしっかりみたか?
そもそも全員が公約の詳細を公開していたのかもよくわかっていないが、
私がちゃんとみたのは安野氏だけだ。
あとの候補はせいぜい1枚の公約まとめ文章をざっと見ただけ。
結局「自分の考えに近そう」な人の「他人が解釈した」良い情報と、
反する候補者の悪い情報だけを摂取していただけのように思える。
最近ではオールドメディアだけの情報を鵜吞みにする人を馬鹿にする傾向にあるが、
ではSNSから情報を集めている人は、そのような人達とは違うのだろうか?
影響のあるインフルエンサーやチャンネル、コメントだけをみて、
自分に心地よい情報だけを摂取してしまっていないだろうか。
それもオールドメディアだけ見ている人達と変わらないのではないか。
自分に心地よい情報だけを摂取しているという点では、
今も昔も変わっていない。ヒトラーの時代と同じだ。
じゃあ公平な目で選ぶには?
やはり難しいことなのかもしれない。
オールドメディアはもちろんだが、
SNSであってもアルゴリズムで個人個人に最適化されて内容を表示させるのだから、どうしても偏った情報になっていく。
しかもその情報量は膨大なのだから、
見たい候補者に良い情報だけを摂取していくことになる。
さらに政治・経済問題は非常に難題だ。
さらに見えない思惑も入り交じってより複雑化する。
そして脳は思考停止状態になってしまう。
それでも無自覚でいるよりは、
「自分の見方は偏っているかもしれない」と心に留めておくだけでも違うはずだ。
他責は有権者?
石丸氏の文言を引用して石丸構文というのもX上で流行ってきた。私も見てちょっと笑ってしまうものもあったが、自分を戒めようと思う。
彼ができる男なのか、できない男なのかはさておき、
すでに「石丸=ダメ」というフィルタを通して情報を集めている。
石丸氏の推す人たちはその逆だ。
これは全ての候補者に対しても言えることだ。
自分にとって強く応援したい人に対して盲目的になっているかもしれない。
もしくは他人の意見に絆されて、盲目的になっているかもしれない。
だからこそ民主主義において1票を投じるのはもちろん、
イメージや雰囲気、インフルエンサーの意見、感情論だけではなく、
平等な目で候補者を見る心構えが必要かもしれない。
自分が信じるものを信じたいのは誰しも一緒だが、
いつのまにか視野が狭くなっているかもしれない。
短絡的・盲目的に票を入れた結果、悲惨な結末を迎えることだってあるかもしれない。(私は今のイギリスがそうだと思っている)
石丸氏は自分の責任を我々に他責しているように見えるが、
私たちも自分たちができない・しないことを代弁者にさせて、
その結果に関しても責任も代弁者にさせている。
つまり我々も他責の行為をしている。
だが民主主義である以上、国民が選んだ結果が当選者であり、
その結果に対して国民の責任も少なからずあるだろう。
選挙とはそのくらい重要なことで、我々にも責任を伴う行為なのだ。
私は石丸氏の、あの言葉から、
「あなたは自分に責任をもって、ちゃんと候補者を選んでいますか?」
「なんとなく選んでるんじゃないの?」
と揶揄された気がしてならないのだ。
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