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パジャマ姿の同級生

どうも、ウクモリ ヒロオです。

週末の到来を前に、あとひと踏ん張りな感じのお昼前。只今、DMM.make AKIBAへ移動中です。先日登壇させていただいたセミナーのアフターセッション。どんなご縁につながるのか楽しみにしています。

ところで意味深な今日のタイトルですが、話しは約35年前へと遡ります。

まさにカルチャーショック

1988年、父の転勤の関係で、私はアメリカのテキサス州ヒューストンに引っ越しました。今でこそ金融の街として有名になった場所ですが、その当時はオイル景気が後退して、NASAがある以外は何もない普通の街になっていました。

私は渡米直後から、現地のハイスクールに通い始めました。元々、洋楽が好きで英語には慣れ親しんでいました。また、渡米直前の1年は週末を横田基地の英会話教師(しかもラジオのアナウンサー)のもとで過ごしたり、何とかなるんじゃないかと自信をつけての渡米でしたが…そんな経験が全く役に立たないくらいカルチャーショックを受けました。

朝、スクールバスに乗った瞬間から異なる世界が広がっていたのを、今でも覚えています。それから1年は帰宅後も教科書と格闘しながら深夜まで勉強、というかかなりの量の宿題や課題をこなしていましたが、その甲斐あって渡米してから1年が過ぎた頃からは、ハードロック、アニメというキーワードを軸に、現地の友人がどんどん増えました。その結果、髪の毛もロングに(笑)

いま思えばクラスルームは多様性そのものだった

私が人とコミュニケーションすることの楽しさを学んだのは、この時期であるといっても過言ではありません。毎日学校に行くのが楽しくなり、特に2年目からはアートのクラスに入り浸るようになりました。

アートのクラスでは、自分で撮ったモノクロ写真を絵にしたり、彫金をしたり…なにしろ全て全力投球だったので、他の授業も楽しかったのですが、2年連続で最優秀生徒に選ばれたアートのクラスは格別でした。

何かを主張したり、表現したり…それがしっかりと評価されたからこそ、その後の日本での生活は苦労が続きましたが、充実しつつある今日の状況を考えれば、それも通過点だったのかなと考えられるようになりました。

パジャマ姿にも

そんな生活を送っていたある日、クラスメートの可愛らしいパムという女性がパジャマ姿でやって来ました。明らかにパジャマ…でも、本人は全く気にしておらず、意図的に着ていました。

先生も特に何も言わず。ただ流石に不思議に思った友人が「なんでパジャマなの?」時いた時、パムはこう言いいました。

「だってこれ着たいから」

それから1週間、彼女は飽きるまでパジャマで登校を続けました。渡米中は様々な経験をしましたが、今でもインパクト強く記憶に刻まれているのは、この時のことです。そして今、あの時の彼女の心境が少しわかるようになりました。

「だって、これやりたいから」

私も長い時を経て、この言葉を頻繁に使うようになり、かなり自然体でいられるようになりました。もしかしたら、パジャマを着てどこかに出没するかもしれませんが、その時は宜しくお願いします。

ちなみに今日のトップ写真は、銀座で撮った某映画の悪役。ヒューストンにいた時、ハロウィンにこの衣装で学校に来ている人がいたのを思い出しました。懐かしい…。

こんなことを感じつつ、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!

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