守口市は大阪支店があった場所
どうも、ウクモリ ヒロオです。
昨日のnoteで守口市の話題に触れました。あの日は、西三荘にある「TOMO-NI」というファブ機能を備えるクリエイティブスペースにお邪魔していました。知り合いの方と情報交換したあと、京都方面に向かうのをあえて1駅戻って守口市の改札を抜けました。
そうまでしていきたかった理由・・・それは松山工業の大阪支店があった場所だからです。昭和の時代、私の会社はブラウン管テレビ用のパーツで電機・電子メーカーとの取引が盛んでした。当然、西三荘にある大手メーカーとも取引をしており、昭和後期は大阪に支店があった時代があります。ただし、支店があったのはほんのわずかな時期だったとも聞いています。
過去の資料などを整理していて発見した昔の封筒には、2つの住所が書いてありました。ただし、どちらの住所も今は番地が変わってしまっていて、スマホでマップを開いても、正確にどの場所だったは示されませんでした。
(数年前には写真でビルまで表示されていたんですが、どうやら無くなってしまったようです)
なので、その場所ズバリとはいかなかったものの、付近を散策することが出来、大阪支店の「ゆかりの地」には辿り着けたことを、まずは嬉しく思いました。
何かを祝うような晴天下、実際に訪れたのは、駅から近い寺内町です。駅から歩いてすぐなので、隣駅のお客様に行くのにはとても便利だったんだろうなと直感しました。同時に飲兵衛ならば堪らない場所だとも(笑)
先日の愛媛・松山訪問もそうでしたが、私はこういった機会があったら、実際に足を運んで肌で感じることが大切だと思っています。
西三荘は改めてお邪魔する機会がありそうなので、次回はもう少し下準備をした上で守口市に行ければと考えています。出来れば、旧住所が現在のどの地点かは調べられればなと。
この会社に入って20年。
この間、大阪には何度も来ていました。また、特にここ数年は西三荘の大きな会社にもくる機会が多く、守口市に行くことは出来たハズでした。
ただ、出張時は可能な限り訪問先とご縁を増やしたいと思っている私は、今は何もない守口市に行きたいという願いを持ちながらも、叶えることなく放置し続けていました。
今回はそんな心の奥底の願いを、自分自身で叶えた瞬間でもありました。初めて降り立った守口市、会社があったであろう周辺には、新しい建物が立ち並ぶ中で、昭和感たっぷりな「いぶし銀」の建物も点在していました。
私の会社の当時の大阪駐在社員は、こんな建物を見ながら孤軍奮闘頑張っていたんだろうなと思った瞬間、この場所が急速に「自分ごと」として捉えられるようになりました。会社の礎を築いてくれた社員に感謝しながら、駅へと再び向かい出しました。
いずれまた…そんな想いを強く抱けたのは、私にとって大きな財産になりそうです。
こんなことを考えつつ、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!