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半年間で2回開催されたオリンピックを見て

どうも、ウクモリ ヒロオです。

さまざまな要因が重なり、半年以内に夏と冬のオリンピックを見ることが出来た訳ですが、終わってみると競技以上に、若い方々の清々しい姿に目を奪われるケースが多かったように思います。今日はそんなことを書き綴ってみようと思っています。

次世代スポーツ競技で見られた、お互いを尊敬しあう素晴らしい世界

大人の事情がかなり目立ったオリンピックだという方もいらっしゃるかもしれませんが、私はそれ以上に若い方々が切磋琢磨しつつも、しっかりと人を敬い、しびれるようなパフォーマンスをした選手に歩み寄り、ハグをしながら敬意を表する姿に感動することが多かったです。

特に、夏でいえばスケートボードやBMXといった競技、冬だとスノボーなどの競技で顕著にみられたそういった光景。なぜなのかを考えてみたら、Xゲームなどに代表される次世代のスポーツ界は、さまざまなしがらみが無い分、選手層も指導層もお互いをしっかりとリスペクト出来ているのではないかとの独自の考えに辿り着きました。

プロパガンダとはかけ離れた存在

2つの大会は、開催意義自体が問われました。思想同士、国同士…様々な思惑がぶつかり合う中にあって、次世代スポーツの競技はあまりそういった面がクローズアップされていなかったように思います。どこの国の選手が勝つか以上に、どんな素晴らしい技を繰り出した人が勝つかにしっかり焦点が当たっていて嬉しかったです。

ここ最近の大会は、ポジティブな話題で盛り上がる反面、必ずといっていいほどネガティブな話題が多くなってきているように感じられます。別の見方をすれば、ネットで情報が拡散されやすくなったからこそ、プロパガンダ(政治的な宣伝)として利用されるケースが強くなってきているともいえます。

メンタルケアの差

ちょっと話題が逸れてしまうかもしれませんが、数日前にフィギュアスケートのネイサン・チェン選手が報道陣に対して、神対応を連発したという記事を読みました。あらゆる悪意ある質問に対して、とても大人な返答をしていたそうです。
当然ながら、こういった対応が出来るのは、彼のパーソナリティからくるものがほとんどだと思います。しかし、おそらくはしっかりとしたフィジオ(理学療法士)が付き添っていることが大きく影響していると感じます。

例えば、私が大好きなF1の例でいえば、ルイス・ハミルトンの脇には、いつもアンジェラ・カレンというフィジオが寄り添っていることに気づきます。昨年の角田選手のそばにも、ノエルというフィジオが付き添って会話する姿がたびたび中継されていました。

なので、喜怒哀楽のネガティブ面が爆発したシーンもあったオリンピックではありましたが、おそらくはこういった面でしっかりとサポートされているかどうか…精神的な支えの部分で差が出たのかなと。そして、それは決して小さな要因では無かったはずです。

実は私が普段接する若い方は、とても真摯な人が多いです。そういった対応に触れれば触れるほど、私は多くの気づきを彼らから貰うこととなります。さすがに専属のフィジオはいないでしょうが、しっかりと教える・支える人がいるんだろうな…と感じています。

そんなことを感じつつ、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!

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