過去の自分も、未来の自分も「死」んでいる。あるのは「イマ」だけ。
はたまたハッとしたことがある。
「死」について考えていた。
嫌だな〜怖いな〜と思ってたから、何となく考えないようにしてたけど、ちょっと考えてみようと思った。恐れとか不安から気づくことって多いから。
もし半年後死ぬとわかったら、何するだろう?
やりたいことやると言いつつも、まだまだ時間があるしどこかに怖さが残ると思う。
じゃあ明日死ぬとわかったら?
今ある瞬間が最後で、明日が来ないとしたら?
……あれ、こわいとか思ってるのを超えて今ある全てのことが有り難くて愛しくないか?
1日という短い時間で新しい経験を積むなんてなかなか難しい。
最後のご飯が食べれることが
最後に大切な人と会話できることが
最後にこの世界の空気を吸えることが
一瞬一瞬がかけがえのないものということに気づける。
実際、一瞬前の自分はもういない
昨日の自分はもういないのだから
つまり死んでるようなものであり
「今」しかないのである。
経験したことのない「死」を恐れるのではなく、「一瞬先に死ぬ」つもりで(事実、一瞬前の自分はもういない)(とわかりつつちょっと実感湧かないからまずは「明日にはもういない」という感覚で)一瞬一瞬の愛しさを感じながら生きる。
ああ、わたしは今まで「生」を先延ばしにしていたんだな。
「死」を強く意識すると、「生」が輝き出す。
これに気づいてから、今日1日過ごしてみて、なんか全然違う。
なんかいつもより、より元気を感じる。笑
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