Day 15 三千文字のおすすめ映画「ショーシャンクの空に」<ネタバレ含みます>
おすすめの映画と言われたら、一択です。
「ショーシャンクの空に」(以下「空に」)
私はこの話が大好きで
スティーブン・キングの原作「恐怖の四季」に入っている
日本語も読みましたし
原作の "Different Seasons" も英語で読みました。
よい小説は、日本語でも英語でも味わい深いものです。
この「恐怖の四季」は短編のオムニバス形式になっており
キングらしくなくホラー要素が薄いのが特徴です。
得体の知れないものが一切出てきませんが
人間ドラマとして一級品です。
wikipediaの説明にもあるとおり
この本に入っている春の話を映画化したもの。
(原題直訳「それぞれの季節」のとおり
四季に合わせた4話構成となっている)
ちなみに秋の話はあの有名な
「スタンドバイミー」です。
一冊の本から大ヒット映画が2本も出るなんて
すごいですね。
監督フランク・ダラボン
「空に」はダラボン監督の代表作となり、
のちに「ウォーキング・デッド」(以下デッド)の製作総指揮をします。
この二つには共通のテーマがありダラボン監督が得意とするところです。
「空に」は脱獄映画だし「デッド」はゾンビ映画で
どこに共通点があるのかと思うかも知れませんが
どちらの作品も閉鎖された場所からの脱出を描いています。
「空に」は刑務所内(外には監視員)
「デッド」は建物内(外にはゾンビ)
閉鎖された場所で人間はどう振る舞うのか
それがテーマになっています。
刑務所もソンビも
私たちにとっては非日常ですが
教師として働く私は共感することが多いです。
「学校」という閉塞空間で
どう生きるかというのは共通するテーマだからです。
多くのサラリーマンも似た状況にあるのではないでしょうか
広い世界の中、自由意志で職場を選んだとはいえ
仕事が始まってしまえば
自宅と会社の往復が基本です。
自由にどこへでも行けるわけではありませんし
外にゾンビは徘徊していませんが
社会の規範や不文律で雁字搦(がんじがら)めになっている。
私は「デッド」も好きですが、断然「空に」が好きです。
銀行家アンディ
銀行家のアンディは
ゴルフプロと浮気の疑いがある妻を追って
クラブハウスへ行きます。
勢いをつけるために酒を飲み
バーのマスターに「明日の朝刊を見ろ」と強がって
車で向かいます。
アンディが言うには
クラブハウスの前まで行ったのだが
思い直して戻ってきたというのです。
しかし、その夜ゴルフプロと妻は
4発づつ撃ち込まれて射殺されます。
リボルバーの球数は6発。
冷静に装填し直して「公平に」打ち込まれたことが
陪審員の心象を悪くしました。
「平等主義者の殺人鬼」
新聞にはそう見出しが踊りました。
アンディの指紋のついた酒瓶
タイヤ跡の一致
購入したリボルバーと同じ銃痕(銃は川に捨てて見つからなかったという)
状況証拠の全てがアンディに不利に働き
無実を訴えるも終身刑となり
劣悪なショーシャンク刑務所に服役することになりました。
小説でも映画でも
明確にアンディが無実であるという証拠は示されません。
しかし、
アンディ(ティム・ロビンス)の迫真の演技が
(この人はやっていない)と思わせてきます。
刑務所内で筆舌に尽くしがたい仕打ちに遭い
精神的にも追い詰められていくアンディ。
転機が訪れたのは
屋根修理のためにタールを塗る作業をしてた時です。
鬼看守のハドリーが遺産相続の税金について
政府に罵詈雑言を吐いているのを聞いて、
アンディは銀行員としての知識で問題解決を提案するのです。
命をかけて持ち場を離れ
ハドリーに向かって歩き出します。
「あなたは奥さんを信じられますか?」
言ってはいけない一線を超えて
「お前、不慮の事故で死にたいのか?」と屋根の淵で凄まれるアンディ。
しかし、
配偶者に限度額内の金額を相続することで無税になる法律知識を武器に
ハドリーの信頼を勝ち取るのです。
「お前、何が欲しいんだ」(珍しく優しいハドリー)
「同僚たちにビールを」
「おい。同僚とは恐れ入った。ビールでいいんだな」
数年ぶりにビールを楽しむ仲間が
アンディにビールを勧めると
「あの日以来酒はやめたんだ」と微笑みました。
この件をきっかけに
銀行員として堂々と立ち向かったアンディは
仲間たちは一目置かれるようになり
看守たちにとってもただの「囚人」ではなくなったのです。
知識で暴力に立ち向かうが…
圧倒的な暴力に対して
知識で立ち向かうアンディでしたが
それでも、劇中では
何度も何度も暴力に屈します。
(刑務所はおとぎ話ではないんだ)
ナレーションが厳しい現実を語ります。
そんな中でも、アンディは希望を捨てません。
映画を見ているこちら側としては
(どうしてそんな状況で希望がもてるんだ?
アンディ、頑張るな! そのままでは壊れてしまうぞ!)
という気持ちです。
絶望的な状況に追い込まれながらも
アンディは地学の知識を生かして
房の壁を掘り続けていました。
19年間毎日少しづつ。
零れ落ちた石ころは
翌日運動場にこっそりと捨てていました。
房の穴は女優ポスターで隠して
リタ・ヘイワースからマリリン・モンロー
ラクエル・ウェルチへと
歴代の女優は三人目となっていました。
そして、嵐の夜
大雷鳴のタイミングで
下水管に石で打ち穴を穿ち
ドブネズミと臭気むせぶ管の中を500メートル這い進み
堀の外へと脱出するのです。
その爽快感たるや
映画史上No.1です。
絶望を希望に変えてくれる映画
フィクションであることはわかっています。
でも、フィクションから学ぶことが多いこともわかっています。
イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、世界的ベストセラー『サピエンス全史』の中で「虚構を信じて突き進めるのは人間だけ」だと述べています。
人間は虚構であるフィクションから、希望を得て勇気づけられ、再びノンフィクションである現実に戻っていく。
紙に顔を書いて、それに貨幣価値があるなんて人間しか信じません。
本のインクの染みである小説や漫画を読んで、感動できるのも人間だけです。
光の集合体を映画とみなし、擬似体験できてしまうのも人間だけです。
アンディが頑張ってるんだから
頑張れたんだから
俺ももう少し頑張ってみよう。
絶望的な状況でも
アンディみたいに刑務所の運動場を優雅に歩こう。
まるでニューヨークのタイムズ・スクエアを歩くみたいに。
長くなりました。
私は何度も何度もこの映画に救われました。
騙されたと思って「空に」見てください。
私は10回以上は見ました。
また明日。