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予備知識無しで初めて聴くショスタコーヴィチの交響曲の感想(その5)「交響曲第9番(ゲルギエフ/マリインスキー劇場管)」
第1回目で書きましたが、元々は弟のiPodのタグ付けをし直してライブラリがまともに聴ける状態になったので早速聴いてみよう、どうせならこれまで全く聴いたことがなかったショスタコーヴィチを聴いてみよう、と始めたことでした。私も大学時代オケ部にいて世界一下手くそなヴィオラ奏者として混ぜて貰っていたことがあるので、たぶん普通の人よりほんの少しだけクラシックの知識があるんだと思います。それでもショスタコーヴィチは聴いたことがなく、知ろうとしたこともありませんでした。元々音楽は好きで本当に何でも聴くのですが、クラシックはたまにしか聴かなくなっていたので、こんなに立て続けに交響曲を聴くのは久しぶりなのです。それがショスタコーヴィチで全て初聴きなんですから、ド素人ながらとにかく全力で正座して(正座は嘘です)聴いています。
前回は第6番を聴いて「嘘で終わる交響曲」だと感想を書きました。ショスタコーヴィチさん怒るかな?いや怒らないでしょう、所詮素人の感想ですし、きっと初演の時同じ感想を持った聴衆もいたと思いますよ。第1楽章はラルゴで重く悲しい、第2楽章はアレグロで軽く楽しい。長い第1楽章を悲しみで貫き通したことで第2楽章との対比が本当に鮮やかでした。遅くて暗い→早くて明るい、と来て、第3楽章は「もっと早くてもっと明るい」になる。言葉で聞くとそんなにおかしくなさそうでしょう?でも実際に聴くと違和感でいっぱいなんですよ。感想にも前奏曲みたいだと書きましたが、何か間違った曲を聴いているんじゃないかとプレーヤーの表示を見直したくらいなんです。そうしたらそれが間違いなく第6番のしかも最後のトラックであることが分かりました。何だか今までのことは全部なかったことみたいになってて、おしまいに言葉を選ばずに言えば「軽薄」な楽章がくっついている、これは一体何だ、何が起こったんだ、という感じでした。バーンスタインが意外に私と近い解釈をしていたので、ちょっと救われた気がしましたね。
さて、4番の後に5番が、6番の後に7番が、という流れで行くと第8番はまた何か挑戦の交響曲なのではという予感がしますが、残念ながらライブラリには入っていませんでした。このシリーズは弟の遺したライブラリを聴くというのが主目的なので、次に聴くのは第9番になります。うーん、これ5楽章までありますし、クラシックでは色々言われるナンバリングですし、ドキドキですね。
交響曲第9番(ゲルギエフ/マリインスキー劇場管)
(初聴き)
第1楽章、弦と木管で軽やかに爽やかに始まりました。一瞬草競馬みたいな情景が思い浮かびましたよ、普段そんなことないのに。フルート中心に木管が軽みを生んでますね。後半金管が入ってやや重くなりますが明るさは変わらず、ソロヴァイオリンが場を軽くします。それを受け渡して明るいままきっちり終わりました。第九とか構える必要は全くありませんでしたね(笑)
第2楽章、これオーボエじゃないよね、クラかな?冒頭ゆったりした悲しいメロディーのソロから始まって低減のピチカート以外ほぼ木管で前半三分の一は組み立てられてます。弦奏がメゾフォルテくらいで入ってきてややテンポアップ、この足音みたいな弦のフレーズは何かが近づいてくることを表しているんですかね?このまま金管が鳴らないパターンかな。ごめんなさい、フォルテになるところで弦と一緒にちょっとだけ吹くところありました。明るくなる兆しはあったけど最後まで暗いままでしたね。前の楽章と一緒でトーンを貫き通してきますね。
第3楽章、またクラリネットで明るく跳ねるように始まる。鳥が飛びまわっているような軽やかな情景かなと思ったら、低弦から分厚くなってペット鳴って軍隊っぽい感じもする。楽章終わり近くでテンポにぐっとブレーキが掛かって弦が暗い何かが起こるのを暗示してる。そのまま第4楽章の分厚い金管につながっていきます。戦争か何かあったんでしょうか?オーボエのソロは鎮魂のようです。それが終わってからかなり間をおいて最初の分厚い金管が再現、鎮魂のソロは今度はファゴットで、最後は弦奏に助けられながら厳粛に消えるように終わり、ません(笑)。そのまま第5楽章に飛び込むと、ファゴットは諧謔味を帯びた明るい感じに姿を変えます。ショスタコーヴィチさんお得意のスケルツォっぽいやつですよ。弦も第1楽章に出てきたような明るい主題で参戦してきます。いや、いろんな楽章の主題がもうごちゃまぜで入ってきてる気がする。おっと弦始まりで高速フーガがスタート。これはこのまま行くね。うん、軽やかなままスパっと終わりました。
明→暗→明→暗→明で楽章を分けたんですかね。音的には第3、第4、第5はつながってましたし、3がプレストで4がラルゴですが、3の終わりでかなりテンポ落としてましたから速度で分けたのでもない。全体的に木管が大活躍の明るく爽やかな曲でした。普通オーボエが吹きそうなところもクラリネットが吹いてて音色が明るいからかな。この曲は人気ないんですかね?5番7番が好きな人にはあまり人気ないかも知れませんね。私はこの曲はかなり好きです。曲長的にプログラムに入れるならサブかも知れませんが、木管の人は喜ぶんじゃないかな(かなり難曲っぽいですけどね)。
(解説を読んで)
そうか、第7番・8番・9番が「戦争3部作」とか呼ばれてて、第9番はラストの「勝利の交響曲」(になる予定)だったのか。求められていたのはやっぱりベートーヴェンの第九みたいな曲で、ショスタコーヴィチも相当のプレッシャーを感じていた、と。実際、初期稿の第1楽章を聴いた友人はその壮大さに感銘を受けたらしく、当局の意向に沿うような曲作りを最初はしていたみたいです。しかしその初期稿を彼は放棄しちゃうんですね。戦争の反対は勝利じゃなくて平和だろとでも言わんばかりに、新たに重厚長大ではなく軽妙洒脱な、たった演奏時間25分の第九を書くんですよ。やるなー、ショスタコーヴィチ。初演が好評だったらしいと聞いてホッとしましたね。ほら、聴衆は分かってるんですよ。プロパガンダが聴きたいわけじゃない、グッド・ミュージックが聴きたいわけです。アンコールは第3・第4・第5楽章だったそうですよ。曲の半分もう一回聴いたんかい(笑)
でも当局からは「ふざけてる」って批判を受けるんですね。「短すぎて軽すぎる」って、もう難癖じゃないですか。その難癖のために彼は窮地に、ってまたなんですよ、また窮地に陥ってしまうんですね。
さて、ここまでショスタコーヴィチの交響曲を第14、第1、第7、第4、第5、第6、第9と初聴きしてきたわけですが、弟のライブラリには未聴の交響曲はあと1曲しか残っていません。冒頭述べたような主旨で始めたことなので、一応次で一区切りになるかと思います。