予備知識無しで初めて聴くショスタコーヴィチの交響曲の感想(その3)「交響曲第5番(ゲルギエフ/マリインスキー劇場管)」初めてだけど、初めてじゃない…
今まで全く聴いたことのなかったショスタコーヴィチの音楽を予備知識なしのまっさらな状態で聴くということをやっているわけですが、これは非常に特権的なことだなあと感じています。何なら優越感すら感じています。
音楽というのは時間軸に沿ってリニアに進むもので、その瞬間瞬間までのことは分かってもその先がどうなるかは初めて聴くときには分かりません。だからこれまでのことを整理しつつ、これから先のことを予測しながら聴くわけです。これが全く予測のつかない、そんなことをしても無駄だと分かってるチャンス・ミーティング的な音楽だったらつまらないと思いますよ。で、クラシック音楽を初めて聴くとき、聴き手と作曲家は一種の対話をするわけです。「こう来たから次はこう来るんでしょう?」「いえ、そうは行きません。こうです」「そう来たか、でも次はこうなりますよね」「そこはさすがにそうなりますね」「ほらやっぱりそうだ」みたいな。ある種のお約束事がありつつもこうした対話が出来るのは、特にクラシックでは初めて聴く最初の一回だけだと思います。二回目はもう答えが分かっていますから、楽譜通りに演奏する決まりがあるクラシック音楽では、予測とそれに対する返事という対話はもう二度と起こらないんです(その辺が即興性のあるポピュラー音楽と違うところです)。
私はもちろん音楽のド素人ですが、その私が天才ショスタコーヴィチと拙いながらも対話しているんですよ。もし予備知識を持っていたらと思うとゾッとします。例えば第7番の第1楽章の中間部に行進曲のような部分がありますよね。ほとんどの解説はこれをボレロの引用乃至はパロディだと指摘しています。ここは意見が分かれるところらしくボレロではないと言っている人もいます。私はボレロだとは全く思いませんでした。軍隊の行進のようだと思いましたが、解説もほとんどが軍隊の行進であることは認めていました。そうしたらおかしくないですか?軍隊行進曲と踊りの曲じゃ全然意味が違うでしょう。いや、それは今は別にどうでもいいです。もし予備知識として中間部にボレロのようなところがあり、それは11回繰り返されるということを前もって知って聴いていたら、私にはショスタコーヴィチの声が聞こえなかっただろうということなんです。ずいぶん単調な繰り返し、それもなかなか盛り上げてこない、淡々と進む長い軍隊なんだろうけど、正直まだやるの?と心の中で問いかけたことを覚えています。そうしたら最後にグワーッと盛り上げてきて「ほら、このための繰り返しだったんだよ」とショスタコーヴィチの声が聞こえた気がしました。予備知識がなかったからこそです。
クラシック・ファンの人やその啓蒙活動をされている方がやたらと予備知識を教えてくれようとしますが、推理小説のトリックをバラすようなもので、最初に聴く前には全然要らない、というか邪魔です。展覧会とか写真展に行って、絵や写真よりまず下に付いてる解説を読む人がいますよね。解説を読んでから納得するように絵を見る。逆なんじゃないかなあ。まず絵を見た方がいいと思いませんか。
前回、第4番を初めて聴いて、第1楽章が全く分からなかったと感想を書きました。おそらくショスタコーヴィチが本気を出すと私ごときとは対話が成立しないんです。第2、第3楽章はもう少し分かりやすく話してくれましたが、彼の本気は第1楽章なんだと思います。第4番の作曲から25年後の初演は大成功だったとされていますが、私にはとうてい信じられません。全3楽章の交響曲、しかも第1楽章はフラットに聴けばたぶん6つのパートに分けられる、そして全ての楽章が消え入るように終わる。こんな曲を初めて聴いた聴衆が曲終わりでブラボー(あ、ハラショーでしょうか)を叫ぶとは思えないんですよ。だから最初の初演(変な言い方ですが)は封印された。天才が本気を出し過ぎて凡人には理解されない曲、というのが第4番に対する私の理解です。
そしてこれから第5番を聴くわけですが、残念なことに余計な情報を知ってしまっています。それは、これがソビエト体制下で名誉回復のために書かれた曲だということです。それにはモスクワのお偉いさんに認められるような優等生的な曲というだけでは十分ではありません、初演で大成功することが絶対条件でした。私のように初めてこの曲を聴く人間にもその素晴らしさが十分すぎるくらい分かるように作曲されているはずなのです。手もなく騙されて感動させられるのは嫌だと斜に構えて聴こうかと思いましたが、それは止めました。ショスタコーヴィチも自分の命がかかっていますから本気です。私も別に何の準備も要らないのですが、覚悟だけ決めて聴きます。ライブラリにはショルティ指揮のウィーンフィルのものもありましたが、やっぱりこっちにします。第9番とのカップリングですが、今回は5番だけ聴きます。
交響曲第5番(ゲルギエフ/マリインスキー劇場管)
(初聴き)
第1楽章、うん、悲劇の始まりのような滅茶苦茶カッコいい第一主題。それがすごい緻密に組み合わされてて気持ちが離れる余裕がない。はい、低弦に載った美しい第二主題、明らかにここで変えてきました。うわピアノがいるんだ。かなり変奏された第一主題の再現の行進曲が始まる。ハッキリ切り替えて来ますね。また第一主題の再現、ここで終わりそうなくらい盛り上げて来る。それが静まると弦に載ったホルンとフルートの第二主題、オーボエが引き継いで、ああ最後は引き伸ばされた第一主題に第二主題が融合するのか。ソロヴァイオリン、チェレスタが美しい。静かだけどハッキリわかる終わり方。
第2楽章、これはおどけた踊りのスケルツォ楽章ですね。主題提示の後に弱音器つけた金管が鳴って、スピッカート気味のソロヴァイオリン始まりの第一主題を各楽器で受け渡していきます。何だかね、これトムとジェリーで聴いたことがあるような気がする。もうそれくらい楽し気なんですよ。最後はティンパニ鳴ってオーボエがちょっと悲し気に変奏した主題を吹いてから、トゥッティでバシッと終わります。
第3楽章、ここはやっぱり弦合奏で悲しげに始まりますよね、さっきは明るい踊りでしたからね。悲しげに、でも芯の強さがある。ソロヴァイオリン、ハープが鳴る中を木管がソロでつないで、再び分厚い弦楽合奏。金管ずっと出てこないね。最後まで出番ないのかな。このまま室内楽で行く気がしますね。さっきから木管のソロの間中、ヴァイオリンがピアニシモでトレモロしてる、それもたぶんソロで。ハープ、トライアングル。すごく繊細だね。低弦強目の分厚い弦合奏との対比にやられますわ。ヴァイオリンがずっと上行音型でこのまま盛り上げていくのかと思ったら、ああ最後はソロヴァイオリンのトレモロとハープだけ。そして止めの夜明けのような弦奏。こんな終わり方するんだ、あのトレモロはこのフリだったんだ。これは室内楽オケがこの楽章だけプログラムに入れてもいいくらい素晴らしいです。あ、ハープいるから大変か。
第4楽章、ここで残念なお知らせが。私、この冒頭の主題は聴いたことがあります。フィギュア・スケートとかでも使われてるんじゃないですかね。もうそれくらい有名なんだと思います。そうか、これが第5番の終楽章なのか。ショスタコーヴィチ屈指の人気曲、そりゃそうでしょう。中間部はひたすら美しく、でも冒頭の主題が低弦に見え隠れしてる。もう大体分かるじゃないですか。どう盛り上げて見せてくれるんですか、それだけですよ興味は。あとずっとお見掛けしてないピアノがどこで出て来るのか、ね。スネアが鳴って、そろそろ行くのかな。ああすぐには行かずに各楽器で受け渡しするんですね。ペット鳴った。来ますね。はいティンパニ。金管。終わりました。もう完璧に古典的に終わりました。初めて聴いていたのなら、このけれんみのない清々しい終わり方に感動できたかも知れませんが、残念で残念で仕方ありません。あれ、結局ピアノって第1楽章以外に出てきましたっけ?
(解説を読んで)
初演では第4楽章の途中から聴衆総立ちだったそうです。そして、みんな予備知識ありで聴いていました。wikiによると、「荒れ狂ったような喝采を可哀想なミーシャ(ショスタコーヴィチ)を陥れたすべての迫害に対するデモンストレーションのような喝采を送った。みな、同じフレーズを繰り返した。『(プレッシャーに)答えた。立派に答えた。』ショスタコーヴィッチは下唇を噛みながら舞台に現れたが、泣いているかのようであった」(シャポーリン夫人)んだそうです。私も第4楽章を聴いたことがなかったら同じ感想だったかもしれません。初めて聴くというのはそれくらい特権的なことなんでしょう。
第3楽章までは諸事情を忘れて没頭して聴きました。もう対話する隙を与えてくれないくらいショスタコーヴィチは雄弁に語ってくれていた気がします。第1楽章はカッコいいし第2楽章は楽しいし、そして何といっても第3楽章。そうか、これはレクイエムだったのか。だからあんな終わり方だったのか。ちょっと本気度が違う感じがしたんですよ。だから終楽章は凄く期待したんだけどなあ。
実際どうなんでしょう、初めて第4楽章を聴いていたら素直に感動できたんでしょうか。いろいろ差し引いて考えてもちょっと分かりやすすぎる気がします。またまたwikiによると、「初演直後、ショスタコーヴィチ本人は、友人の指揮者ボリス・ハイキンに「フィナーレを長調のフォルテシモにしたからよかった。もし、短調のピアニッシモだったらどうなっていたか。考えただけでも面白いね」と皮肉っぽいコメントを残している」そうです。そうだよね。最後ブラボー貰わなきゃならない理由がありましたからね。似た感じのする第1楽章より本気じゃなかったんじゃないかなあ。ひたすらモヤモヤします。
かなり覚悟を決めてから聴いた第5番でしたが、完全に初聴きとは言えませんでした。第4楽章はお互い無言になってしまいました。残念です。