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「数え歌」「いろは歌」いろいろ…ここ五十年で完全に死に絶えつつある七五調の文化。秋田實『日本語と笑い』(昭和51年5月25日初版発行 日本実業出版社)より

「数え歌」

※「一つとせ(一つともせい)で始めて、頭韻で数詞を織り込んだ七五調の節を十まで続ける歌遊び」。

○「世の中変ったネ」

※詳細は不明ですが、内容から大正末から昭和初期だと思います。

 一つともせい 人の心は変ったネ 段々世の中進みきて 女が男のふうをする 実に世の中変ったネ
 二つともせい 不思議な無線の放送で 居ながら諸芸を耳にする 珍しいことを毎日に 実に世の中変ったネ
 三つともせい 道も段々広くなる 線路 車道 人道と三つに分れて安全に 交通左に 実に世の中変ったネ
 四つともせい 洋行する人多くなる 日本人英語で話する 異人が和服の寝まき着る 実に世の中変ったネ
 五つともせい 今はなんでも電力で 米つく 餅つく 物をたく 機械の運転 扇風機 実に世の中変ったネ
 六つともせい 無学で成功むつかしい そこで苦学が多くなる 新語を知らねば 恥をかく 実に世の中変ったネ
 七つともせい 浪速の里も大大阪となり 大和川まで市となり いたる所へ電車 自動車 実に世の中変ったネ
 八つともせい 野球や学生大相撲 勝ったその人優勝旗 国へ土産に振りかざす 実に世の中変ったネ
 九つともせい 公設市場は物安く 小鳥市場は繁盛で 十姉妹やセキセイで大成金 実に世の中変ったネ
※検索してみると日露戦争時に成金として名をはせた中西巌という人の回顧録に小鳥相場で大損した述懐が書かれていました。
 十ォともせい 当世流行芸術は 活動映画や 安来 万歳 小原節 沢正剣劇大流行 実に世の中変ったネ
※「沢正(さわしょう)」は澤田正二郎という大衆演劇の人気役者の通称。特に新国劇時代のチャンバラで人気を博したようです。

○「忠臣蔵」

一つとせいえ 人は一代名は末代 虎は死んだら皮残す (浪曲)ここに播州 赤穂の浪士忠臣 義士の鏡ぞ――と今が世までも 骨は朽ちても 名を残すえ
二つとせいえ 深きたくみの内蔵助 赤穂退散その後は (浪曲)何の寝らりょか 忘らりょか たとえ吉良公が舅でも やわか このまま捨つべきか 亡君浅野のお恨みを――ぐっと呑み込む九寸五分じゃえ
三つとせいえ 水の流れと人の身は いえ 明日待たるる 楽しみや (浪曲)人目を忍ぶスス竹や 寒きも寒き雪空に 水はどんより濁れども 心濁らぬ隅田川 首尾よく討つか討たるるか 命かけたる両国の 橋のたもとで 大高が――辞世 残した宝船じゃえ
四つとせいえ よその見る目も はばからず 可愛いい妻子を離別して (浪曲)伏見の里や祇園町 遊女売女にたわむれて 月 雪 花と 日を暮す これも 一つは仇 苦肉の裏表軽い命に重たい 役目の大石よ 何の抜かりがあるものか――胸に錠前 きちんと下した内蔵助
五つとせいえ 命は 元より投げ捨てて 赤穂浪士の 夜討の道具 (浪曲)たとえ 町人身不肖でも 一旦こうよと頼まれや たとえ この身がしゃりこうべになろうとも 言うな言おまい 喋ろまい 堅く包んだ長持は――武士も 及ばぬ 天野屋利兵衛エ
六つとせいえ 胸を打ち明け 大石が あまた家中のある中で (浪曲)これと眼鏡が叶うたのは 堀部親子に岡島や 磯貝 間(はざま)に小野寺や 潮田 神崎 武林 原に大高 赤垣か 中村 倉橋 前原や 片岡源吾はじめとし 下は足軽寺坂吉右衛門に至るまで 赤き心は いろはにほへと ちりぬる命は元よりも 吉良の屋敷によたれして ならむいのおくに踏み越えて 死出の山路に花咲かし 昇る旭に夢さめて 目出度く えひ
を見るまでは――何ンの仇は 逃しはせす 京
七つとせいえ 長の年月 四十七士 吉良の様子を探らんと (浪曲)易者 割木(まき)売り 夜そば売り お酒の御用や 炭たき木 中にも堀部安兵衛エ 顔に焼きごて アザとなし――手慣れぬ仕業の今日 大根売り
八つとせいえ やがて今宵は討入りと それとは あかせぬ赤垣が (浪曲)兄 塩山にいとまごい 逢わずに帰る源蔵が――心残した 一生 別れの徳利酒
九つとせいえ 頃は元禄十五年 月こそ変れど 亡君の (浪曲)恨みも深き吉良公の 額(ひたい)の傷は浅くとも 遺恨も深き四十七士 山形筋の火事羽織 山鹿流の陣太鼓――喚声(とき)をつくりて 吉良の屋敷に押し寄せる
十とせいえ 所は本所 松坂町 吉良の裏表 (浪曲)表御門は大石良雄 裏手御門は 忰の主税 二手に分れて乱入する 逃げる奴には追いもすな 女子供に目は掛けな 目指すは吉良の上野(こうずけ)と 尋ね探せど 消えてなくなる雪の模様 東はほんのり白み出す 流石 気丈な大石も 天を仰いで落胆の 折から聞ゆる合図の呼笛 一番槍が炭部屋より吉良をつかまえ引きずり出し 亡君恨みの九寸五分 晴れて嬉しい雪の空 永代橋から勢揃い 共にかばねは 苔の下 四十七士の――義士の塚 その名高なわ泉岳寺

○「十二月」

一月とせいえ いつも 青々 門松が 互いに 手に手に しめ飾り 突いておくれよ 羽根 手まり
二月とせいえ 二月 初午 色はじめ 元より 苦労は 正一稲荷 お前のことなら 太鼓叩いて どこまでも
三月とせいえ 三月は 節句の ひな祭 互いに 二人が寄り添うて 離れともない 菱の餅じゃえィ
四月とせいえ 四月八日は おシャカでさえも 甘茶にだまされて 丸はだか 私しゃとても お前の恋路 上りつめたか 気はテント花
五月とせいえ 五月は 男の節句で 上り鯉 二人の 屋根の上 互いに 浮気は せんだんしょうぶ
六月とせいえ 六堂の辻では 迷わねど あんたに迷うて 娑婆世界 盆の十四日 逢いに来ますぞ 仏様
七月とせいえ 一夜(ひとよさ)年に一度の織姫様 七夕さんに こがれて 天の川 越すに越されぬ つらさや 三粒(さんつぶ) 雨が降るぞえ
八月とせいえ 萩や桔梗に 迷わねど 団子に迷うたか お月様 村雲 忍んで そっと顔出す 窓の月
九月とせいえ 栗の節句や 豆名月 互いに お釜の中で 蒸したり 蒸されたら 互いに悋気(りんき)で 飛んだり はねたり 焼いてもみたり
十月とせいえ 十月は 出雲に 神が発(た)つ 恋の帳面 お調べなされ どうか 二人の恋路をば 無籍帖にと 載せぬように
十一月とせいえ 田舎育ちの 小娘が 夜鍋はじめか 赤だすき 村の若衆に ついてほしいよ イノ子の餅を
十二月とせいえ 庭も 忙(せ)わしき極月の 主さんが餅つきゃ わしゃ臼取りよ 二人が仲にて 子餅とるわえ

○「金色夜叉」

※文中にもあるように「覗きからくり」で歌われたもののようです。数え歌で画面を切り替えていたのではないかと思います。

一つとせいえ 人の心と秋の空 変りやすいと世々伝う (覗きからくりの節になって)女子はなおさら七人の 子をなすとも 心を許すなよ ここに鴫沢(しぎさわ)宮子とて 年は二八の 霞花あざむく器量よし 親は 笑顔で 子が可愛い 可愛い可愛いが身の破滅――末には金色夜叉となる
二つとせいえ 深く 思いつ思われつ 末の和楽を楽しみに (覗きからくり)ここに 間の貫一は いまだ青年 学盛り 未来の妻は宮さんと 知識を学び 寝もやらず 思いしことは 水の泡――末には金色夜叉となる
三つとせいえ 三日見ぬ間に 桜花 心も散りて 仇桜 (覗きからくり)ここに開けし かるた会 あまた交わる その中に その名も富山唯継の 浮薄な手先きにきらめかす ダイヤの指輪に 宮さんは にわかに起る虚栄心――これにて金色の夜叉となる
四つとせいえ ようやく済みたるカルタ会 宮さん帰ろうと貫一は (覗きからくり)帰る姿を うしろより 眺めた富山 気も狂い 金にまかして 宮さんを 手活けの花に致さんと――共に金色の夜叉となる
五つとせいえ 伊豆の熱海の温泉に 病気養生と かこつけて (覗きからくり)富山さして 宮さんは嫁(か)しずく縁談まとまりて 互い かわす 色と金――これにて 金色の夜叉となる
六つとせいえ 虫が知らすか貫一は 帰れば宮さん 影もなし (覗きからくり)小父さん宮さんどうしたか? あの子は熱海の温泉に 病気養生にやりました サテはそうかと貫一は――にわかに 金色の夜叉となる
七つとせいえ 波にただよう 貫一は 松の小蔭に 身をかくし (覗きからくり)ヤレ 宮さんえ 宮さんえ 貴女は熱海の温泉へ お出でになったも富山に 嫁しずく話でありましょう 何故に心が変りしか 貴女の心が心ゆえ――私しゃ 金色の夜叉となる
八つとせいえ 約束ずくも 水の泡 何故に宮さん 貫一を (覗きからくり)捨てる心になりました? 僕に不足ができたのか ただしお金が欲しいのか ダイヤの指輪が欲しいのか? この貫一は今日よりは――学問ふり捨て 金色の夜叉となる
九つとせいえ これというのも貫一さん 貴方を洋行させんため (覗きからくり)お黙りなさい 宮さんえ 理想の妻を金にして 身に教育は附けたくはありません それほどダイヤが欲しいのか それを思えば 残念な――僕も金色の夜叉となる
十ォとせいえ ところは 熱海の海岸で 月は皓々冴え渡る (覗きからくり)宮さん これにて別れます 貴女にかえす言葉なし 月は冴えれど 宮さんよ 私の心は冴えやらず 来年今月の今夜の月が曇れば貫一が 怨んでキット曇らすと 互いに熱海の海岸で――今に伝わる 金色の夜叉の物語

○「今昔数え歌」

あァ一つともせィえ 開けし 大正昭和の今日は 津々浦々の涯までも あの厚き御政治が行き渡り これを思えば徳川の 幕府の昔を考えりゃ 今の昭和の御政治は 有難やェ
あァ二つともせィえ アアふる里 立ち出ではるばると 

※おそらく続きがあったはずですが、抜き書きがここで終わっています。ここまでで書き写すのを諦めたんだと思います。二十五年前に自分がどんな気持ちで書き写していたのか全く覚えてはいませんが、この七五調の節で数詞を織り込んで歌う「数え歌」という文化はおそらくもう二度と復活しないと思ったんでしょうね…

「いろは」と歌

「いろはの謎々」

○「い」の字と掛けて 船頭さんの手と解く 心は艫(ろ)の上にある
○「ろ」の字と掛けて 野辺の朝露と解く 心は葉(は)の上にある
※確か「腸と解く、心は胃の下にある」っていうのもあった気がします。
○「は」の字と掛けて 金魚屋さんの弁当と解く 心は荷(に)の上にある
○「に」の字と掛けて 頭痛に貼った膏薬と解く 心は頬(ほ)のうえにある
○「ほ」の字と掛けて 見越しの松と解く 心は塀(へ)の上にある
○「へ」の字と掛けて 秋葉さんのお札と解く 心は戸(と)の上にある
※秋葉山本宮秋葉神社のお札と言えば「火の用心」ですね。
○「いろはにほへと」と掛けて 花の三月と解く 心は「散りぬる」前

「いろはの里謡」

○「いろは歌留多のはの字を忘れ あとに残るは色ばかり」
○「いろは歌留多のいの字を忘れ あとに残るはロハばかり」
「ロハ」「タ並び」「青田を引く」=銭入らず※「ロハ」を縦に書くと「只(ただ)」、「タ並び」は「タタ(タダ)」は分かりますが「青田を引く」がよく分かりません。実る前の稲を収穫しても銭にならないということでしょうか。

「いろはからの派生語」

○「糸瓜(へちま)」~「いろはにほ『へとち』りぬる」の「塀と地」の間に育つから「へちま」
○「山の神(=奥様)」~「おくやまけふこえて」で、「おく」は「やま」の上(かみ・神)にあるから「やまのかみ」

「いろは歌」

○「心学いろは歌」

※「心学いろは歌」で検索すると「藤松喜三郎編・心学いろはうた」というのがヒットして国立国会図書館のアーカイヴで中身も読めますが全く別のものでした。

いつまでも 貯わえおけよ いろは歌 読む度毎に 身のほどを知る
艫も櫂も 舟に浮世の 世渡りを 渡りかねたる 身こそ悲しき
働いて 金を儲けて 蔵たてて 人もうやまう 身とぞ願わん
憎からぬ 我が子叱るは 長命の 薬与える 親の慈悲かな
誉められて 我かしこしと 思うなよ 誠に誉める 人は少なし
平生の 身持ち放埒 なる人は 親の家督を ついに失う
とにかくに 親は生きたる 神仏 不孝にすれば 罰は目の前
散る花を 景色よしとて 楽しむや 我身の散るを 知らぬはかなさ
立身を するとも身をば 高ぶるな 落ちたる時に 人ぞ笑わん
盗みする 人は難儀が 重なれど 取らるる人の 家は繁盛
流浪する 人には情 かけてやれ 我身のほどは 知らぬものなり
をのが身を 育て上げたる 親の恩 忘れぬように 孝行にせよ
わが家職 大切にして 精出せば 親も喜ぶ 身も楽になる
金持ちを 羨やむ人は 阿呆もの 精さえ出せば 金持ちになる
よこしまを 言わずに すぐに世を渡れ 渡りかねては 沈む浮世ぞ
短気には なりやすけれど 思案せよ 短気出さねば 身の徳となる
量見を すればその身の 徳たるが 我慢をすれば 身の害となる
算盤の 桁をはずれし うつけ者 割って合せて 心調べよ
勤め柄 よければ主も 大切に また喜びて 大切にする
寝醒めにも 親の心を 休めかし 必ず親に 苦労かけなよ
慰みも 身のほどほどに 引き較べ 楽しみ過ぎて 苦しみをする
らく身を 見てはただ今日 精出せよ 精さえ出せば 楽人となる
昔から 廃らぬ風を 見習えよ 当世風は いやしかりける
うかうかと 浮世を渡る その人の 老いての後を 思いやりては
色ふかき 花も嵐に 散る習い 我身もやがて 散ると思えば
のちの世も この世も共に 極楽よ 地獄へ行くな よき人になれ
おとなしき 人はその身の 果報ぞや 叱られにける 人ぞ悲しき
口惜しい 無念といかる 勢いも 家業のたしに するが肝腎
やかましく 言うは我子の 為なるぞ 孝行の子は 喜びて聞け
待てしばし 悪事はやめて 思案せよ よき事ならば 早くととのう
慳貪と 邪慳をやめて 孝行を 第一にする 人を誉めぬる
不孝する 人はこの世の 廃り者 えの木のぼくと なるは理(ことわり)
ここかしこ 義理も欠かさず 楽々と 渡世をすれば 親も満足
得たる事職を大事と きわめつつ その余 遊山は分に従え
手に取れぬ 月を手に取り 親の恩 師匠の恩と かねて知るべし
あさましい 元のこの身を 引き較べ 親の御恩は かねて忘るな
酒のみが 酒にのまるる 世の習い のむれぬように のむが酒のみ
きげんよく 笑うて暮らす その家に 富貴の相ぞ 現われにけり
行く末を 守り給うは 親の恩 忘れぬように 孝行にせよ
目の前に 首の落ちるも 知りながら 盗みするとは おのが身知らず
身の上に 浮き沈みある 世の習い 貧なる時に 辛抱をせよ
死んでから 仏になるを 待つよりも 呼吸(いき)あるうちに よき人になれ
栄ようして 栄華に暮らす その人の 行く末を身よ 紙子一枚
陽のうちに 物喰うひまは ありながら 精出すひまの 無きぞおかしき
もみがらの 小袖着てから つづれ着る 顔の赤きを 思いやらるる
せうしん(小心)に 肴喰わぬか 精進か 喧嘩をするな 殺生をすな
捨てられて 成人しても 親の恩 かねて忘るな おのが身のため

○「いろはうた」(手島楮庵)(七七七五調)

※手島楮庵(てじまとあん)は江戸中期、石田梅岩門下の心学者で、このいろは歌は「兒女 ねむりさまし」という子供向けに行儀や心がけを説いた絵入りの本からのものです。

意地が悪うは生れはつかぬ 直が元来生まれつき
碌な心を思案で曲げる まげねば曲らぬわが心
恥を知れかし恥をば知らにゃ 恥のかきあいするものじゃ
憎む筈なは不忠と不孝 ほかは憎もうようがない
欲しや惜しやの思案は鬼よ 楽な心を苦しめる
へちた事には善事はないぞ 知れた通が皆よいぞ
兎にも角にも親孝行と 主へ忠義を忘れやんな
近い親子にむごいを見れば あかの他人は恐ろしや
利口ぶるのは大かた阿呆 しれた通でよいことを
ぬかるまいぞや思案の鬼が といと地獄へ連れて行く
留守といわれぬおのれが心 よいも悪いもおぼえあり
男女の行儀が大事 あく性者めは人の屑
我を立てねば悪事はできぬ 知れよ心に我はない
金を欲しがる底意がいやよ 人を見下す天狗ずき
よだれ八尺流すは色よ 迷えばとろさもおぼえなし
ためによいこというものはいやで 毒をあてがう人がすき
礼儀だてこそおかしゅうござる だてのないのがれいであろ
損をかけたり無理をばするは 得じゃござらぬ毒じゃまで
常に主をば大事に思えば 仕事するのも手が軽い
寝てもさめても立っても居ても 無理を言うまい無理せまい
ないとおもうはそれははや思案 あるの無いのは皆迷い
楽をしたくば心を知りやれ 楽が心の生まれつき
むごい事をばいうたりしたり すれば我が身に皆むくう
嘘は心におぼえがあるぞ 人はともあれ我が知る
井出の玉川まるうも見えぬ どこが流れじゃはてがない
飲めや歌えや一寸先は遠い さわぐをのれが円(まる)でやみ
奥の奥まで探して見ても 限り知られぬ我が心
久米の仙人おかしいことよ うそのかわみてだまされた
やいとをすやれ孝行ものじゃ 親も悦ぶ身も無事な
負けることをばきらやるげなが 何故に欲にはよう勝たん
けはい化粧で外から塗れど むさい心は塗られまい
古いものほど重宝ならば はじめ知られぬ我が心
こくうむてんにお広い住い 柱なければ屋根もなし
縁にひかれて心は移る 悪いことにはまじるまい
天の恵みで無いものはないに 恩にきせねば恩にきず
あたら心に思案のそえ木 それがつかえて動かれぬ
さても心は奇妙なものじゃ 覚え知らねど覚え知る
来たら来たまま去れば去たまま 兎角思案は皆くずじゃ
夢の世じゃとは口には言えど 寝言いうのか物ほしや
目にも見えねば音にも聞かず されどなしとも思われず
見たい知りたいその志 あれば知らるる我が心
知れば知らるる心を知らで 暮す人こそはかなけれ
得たる心を失いなりで 死んでしまうはあんまりじゃ
貧と福とは天命なれば 我がままにはどもならぬ
もがき貧乏する人多し 成らぬ儲けをしたがって
世智で金をば持ても慈悲で 人を救わねば金の番
住まば住よし赤子の心 これぞ目出たき岸の松
京の太平楽々の身に ほかの願いはみな栄耀

○「禁酒いろは歌」(禁酒雑誌「国の光」より)

※「国の光」は大正期頃から日本禁酒同盟会というところが出していた雑誌のようです。

命をば おのれの物と 思うなよ 神と親との あずかりの品
論よりも 証拠は現に 酒飲の 子に優れたる 人は少なし
はかりなし 乱に及ばず などという 人は酒屋の 誤親類すじ
にちにちに もし一合の 酒代を 積めば三十日に 三円となる
ほうとうの 息子に意見 するよりは まず御自分の 晩酌を廃せ
返答の 仕様に小言 いい初め 喧嘩口論 酒飲みのくせ
とめるほど なお糞ばって 屁理屈を いうは上戸の 悪い癖なり
ちえもうせ 脳もおいおい 鈍くなり さてはとさとる 酒の中毒
理想ある 人は必ず 禁酒せよ 酔生夢死の 人にあらねば
ぬす人や 火事よりもなお 恐ろしく 酒は家くら 生命までとる
類をもって 集まるものよ 心せよ 酒のむ人に よき人はなし
をそれても なお恐ろしい 酒の毒 その身はおろか 子や孫にまで
綿入を 置きて酒のむ 人もあり どうせ仕舞に 菰かぶる人
神様に 断ったお酒を 又始め 山の神にも 頭あがらず
よいよいを 見るにつけても ゾッとする 酒のむ人の 末を思えば
たましいを 飢やして酒に 飽く人は 随分見ゆる 世の紳士にも
連中に きまりの悪い ほどの下戸 内のきまりの チャンとつく人
そまとうぜ 服むより酒を 飲まずして 運動すれば からだ肥るぞ
つくづくと 行燈部屋に 後悔の 涙のもとは 宵の酒なり
願わくば 禁酒の旗を 押し立てて 世の罪悪を 討ち亡ぼさん
なかなかに やまらぬものは 酒なるに 断然止めた 男らしさよ
乱暴な 奴じゃと人に 謗らるも ただ酒くせの 悪いばかりに
無分別な 事しでかすも 酒の為 男ざかりに 酒を飲むな
うわ酒を 飲んで嘆息 したるぞや 国を亡ぼす 者あらんとて
胃腸病 多くは酒に 原因す 酒さえよせば 達者なる身を
飲む時は 人が酒のむ ようなれど 酔がまわれば 酒が人のむ
老いてから 後悔しても 詮はない 早く禁酒を するが肝腎
喰うことに 事欠くことの あるくせに 酔うて太平 楽でない人
破れかぶれ などと自棄酒 のむ人の 内には妻子 食わず泣き居る
まあまあと 酒を侑(すす)むる たおや女は 自殺幇助の 人と知らずや
結構な 等と舌打 する酒は 毒たっぷりの アルコールなり
不平をば 酒にもらすと いう人の 不平はタカの 知れた不平ぞ
子の先途 案じる親は おのれまず 酒を禁じて 徳を修めよ
偉そうに 酔うて大言 壮語する 人はすめ(素面)では カラ意気地なし
手も足も 自由はきかず 口からは よだれだらだら 酒のみの果て
阿片飲む 支那を笑うた 我国に 酒のむ人の 多き時代は
酒という 気違い水に 浮かされて 家くら田地 流す人あり
儀狄とは、義敵と書かん 憎い奴 酒を造りて 人を亡ぼす(儀狄=ぎてき、初めて酒を
造ったといわれる中国・夏の伝説上の人物)
夢の世を 酔うて過すと いう人は 人の真価を 知らぬ人なり
迷惑に なるとも知らず 酔どれの 長く管巻く ざまの醜くさ
身は親の 命は神の 賜を 酒にとられて たまるものかは
親切な 友は真面目な 人にあり 真面目な人は 禁酒会員
ゑうて憂きを 忘るるなどと 言うけれど 醒めたる時は 憂に憂きます
ひん鶏の 晨を告ぐる 家庭には 多くは酒に 目なき御亭主
もも歳も 生きてこの世に 暮すべし あたら生命を 酒にやるなよ
戦勝の 国の名誉に なお一つ 禁酒の国の 名誉とらばや
好きな酒 止める勇気が あってこそ 実に大正の 大和民族 

※二回で終わろうとしたらすごい長文になってしまいました(いろは歌はどうしても一セット四十八首以上あるので)。次が最終回です。

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