ウクライナ🇺🇦に戻れる日を思いながら
ウクライナでの新会社設立の話が立ち上がったのは2020年3月だった。
2020年6月から数回にわたって現地出張を行い初期的な調査を実施。この初期的な調査結果を本社にて検討し、次のステージ(本格的調査)へと進むこととなった。
2021年3月「さぁ現地で本格調査開始だ!」と意気揚々と準備を行うも、このタイミングでコロナが全国的に拡大し、社員はリモートワーク更に出張も中止となり、この事業も現地調査は一旦サスペンドとなってしまった。
9月の出張解禁を待って、万全を期して現地出張を再開し本格的なFeasibility Studyが始まった。途中コロナに感染しながらも、2021年1月に社内のゴーサインを取得し、正式にこの事業が立ち上がることとなった。
ここからはひたすら現地で悪戦苦闘を続けながら、5月末にようやく会社の設立登記が完了した。
この時点ではスタッフは誰もおらず、オフィスの住所さえ決まっていない書類上のみの会社が立ち上がった瞬間である。
それから8ヶ月後の2022年1月、まさか国外退避勧告が出されるとは思いもしなかった。正直、国外退避の段階では事態の深刻さを理解していなかった。この時点では戦争なんて起きないだろうと言うのがメディア含めて大方の見方だった。私自身も恐らく2−3週間で戻れるだろうと思い、短期出張のつもりで荷造りを行い、近くのザポリージャ空港から隣国トルコ・イスタンブールへと避難した。
そして2月24日を迎えることになった。
当日は、早朝、現地のウクライナ人スタッフからの連絡で目を覚ました。スタッフとのやりとりはTelegram、WhatsApp、TEAMSを利用しているが、この時はTEAMSだった。彼女の第一声は今でも忘れない。「早朝申し訳ありません。残念な報告です。たった今、ロシア軍がウクライナに攻めて来たそうです。戦争が始まってしまいました」とロシア語で涙声で報告してきた。
今、私はワルシャワで退避生活を続けており、ここでは第一報を報告してきたスタッフ含め4名が一緒にいる。ワルシャワの他にもフランス、ブルガリア等へ避難しているスタッフがいるが、大半のスタッフは現地ウクライナに残って事業を継続している。
幸い戦禍に見舞われていないことから事業を継続することができている。
ロシアの軍事侵攻から半年が経ち、これまでの半年間を振り返りながら、スタッフの足跡を残す意味でもnoteを書いてみようと思った。
スラバ・ウクライニ!(ウクライナに栄光あれ!)
この言葉を支えているのはウクライナの兵士たち。そしてその兵士たちを支えている一般の人達がいかに縁の下で結束しているのか、そんな表に出ることのない記録と記憶を残せたらいいなと思っている。
大好きなひまわり畑をまたいつかこの目で見る日を夢見て。
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