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人生初の休職 : 39日目(中学美術で木を描いて世界が変わった話)
今日は通院日で早く着いたので大好きなミスドでひと休憩してから向かいました。
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フルーツスティック初めて食べたけど、想像以上に美味しかった!!また食べたいなぁ
1番好きなココナッツチョコのドーナツは持ち帰り。
今日は特筆して書くことがないので、思い出話を書いてみます。
突然ですが、自分の認識の変化で見える世界って変わりますよね。
そして自分の認識の仕方は、知識や経験によってバリエーションや深さが増して、それによってその自分にとっての世界は広がっていきます。
自分の世界を広げることは、多様な視点を持つことと近い気がするのですがどうでしょうか。
それは自分を助けることにもつながりますよね。
私がそれを始めて身をもって学んだのは、中学生のとき美術の授業で風景画を描いたときでした。
木を描いていたときに、フラッと横切りかけた美術の先生が、
「木の幹の茶色は、緑色も足すと木の幹っぽくなりますよ〜(ササっと加筆)」
と言って去っていきました。
当時の私は全く納得できなくて、
「え?なんで緑?」
と、その後の授業もずっとグルグル考えていました。
その日の帰り道も、引き続き考えながら帰宅していたのですが、帰り道にある街路樹をよーく見てみると
「あ…緑色見える…」
私にとって「木の幹の茶色には緑色を混ぜる」というのは、「この問題はこの公式を使う」レベルと同じ、「なぜじゃなくてそういうもの」と、思考過程が空っぽであるようなものに感じていました。
(そもそもそういう授業をする先生はどうかと思いますが…)
なので、それが自分の中で成立してしまうと、好きな美術が私の手から離れていって、つまらないものになってしまう危機を感じていました。
なので、たしかに自分の目で木の幹に緑色があることを確認できたときは本当にスッキリしました!
「良かった!そうか、自分は見てるつもりになってただけで、ちゃんと観察せずに頭で描いていたのか。(木の幹は茶色という固定概念)
何も難しいことはない。他人の固定概念は置いておいて、自分の目でよく見ること。そして自分が見えたまま、そのままを表現する。それが本当の私の絵だし、それがもし一色の色面だったとしてもその過程を踏んだ上での表現であれば、それは間違いなく具象画なのではないか。」
そんなことを思いました。
最終的に、よく観察した結果ピンク色や薄水色も見えてきたのでした。
そして、この「自分の目でみる」ということは今後の人生に幅広く活きることになりました。
絵だけではなく、何に対しても活用できました。
他人の意見を認めることも、自分の意見を認めることもできたし、自分の目で見て良し悪しを判断したり、自分で責任を持って決断する癖がつきました。
言い方を変えると、「自分の答えや他人の答えを疑うこと」(本当にそうかな?と考えてみる)や「批判的な視点」とも言えると思います。「多角的な視点」も重なるところはあるかもしれません。
これらは課題解決にも役立ちますよね、美術授業の一言からここまで広がった学びを得られるとは…。
決して良い先生とは言えないけど、学校での学びは具体的な能力向上だけではなく、教科を通して幸せに生きるための力や、課題解決能力などの数値化が難しい力を育てることも大切なことだし、授業の仕方でそれはできるはずだと思いました。
何やら長くなってしまいましたが、これが私の人生にとって、見える世界が増えたように感じる大きな出来事でした。
これは教員採用試験の面接受かるのでは(安易)
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