noteを恐る恐る始めて数ヶ月、私がどんな人間なのかを改めて知ってもらおうと思い、自己紹介をしたいと思います。
*目次*
何をする人間か?
どうして日本語?
生い立ち
大好きな俳句
☘️何をする人間か?
日本語のチカラで、みんながお互いにやさしくなれる世界が作れたら…
マイノリティだけがストレスを感じる世界はまちがってる。みんながお互いに価値を感じ合える、お互いから学び合える、認め合える世の中に。
そんな夢みたいなことを考えているオバサンです。
☘️どうして日本語??
近年、急激に外国ルーツの方が増えたこと。
スマホやSNSの普及。高齢者の増加。若者の国語力低下。
そんなさまざまな現象を見るにつけ
日本のコミュニケーションは大丈夫!?
と心配になります。
日本には従来、待遇表現という素晴らしい文化があります。それは、聞き手が気持ちよく過ごせるように気遣うコミュニケーション手法です。敬語もそのうちの1つです。
そして近年注目され始めている、「やさしい日本語」。これは誰にでも伝わりやすいように工夫された日本語のことです。
どちらにも共通しているのは、聞き手への思いやり。
日本人全員がこの2つを上手く使えるようになったら、諍いなんて起こりようがないし、日本のファンは増えるはず!
そのために少しでも、私の知っていることをお伝えしたいと思っています。
☘️生い立ち
1970年
大阪府豊中市に生まれました。
幼少期は風邪や中耳炎で幼稚園を休みがち。
両親が空気のきれいなところに移ろうと考え、小学校2年の夏に兵庫県宝塚市に転居しました。
そう、あのタカラヅカ🕺と温泉♨️の街です。
と言っても最寄り駅近くにあったのは中山観音という安産祈願のお寺 卍。母の実家も浄土真宗の小さなお寺で、仏様にはゆかりのある環境でした。因果応報、何事にも原因と結果があるという考え方が染み付いていて、怪奇現象とか奇跡とかいうものとはかけ離れた人生を歩んでいます(笑)
母はお寺の娘だけあって、私が小さい頃から日常的に諺や慣用句をよく使いました。私が意味を聞くと必ず「広辞苑📘をひきなさい」と言うので、いつしか私は意味が分からないまま放置するとムズムズする体質になってしまいました🤣
マジメが服着て歩いてるような子どもで、母に「アンタは近所のオバちゃんキラーやね」と言われました(笑)
当然、腰も低く、敬語もそれなりに身についていたと思われます…
語学に興味があり、高校での「受験」英語📝はトップクラスでしたが、リスニングは全くダメ(笑)。それでも英語を勉強して仕事に活かしたいと思っていたのですが、大学では自分が井の中の蛙だったということに気づき、結局、国文学専攻に…
未だに大して英語は喋れません🥲
1992年
日本航空(JAL)✈️のグランドホステスとして就職し、搭乗ゲートでの案内アナウンスをするために韓国語🇰🇷を齧りました。初めて、英語以外の言語も面白いなと思いました。
職場の2年上の先輩と、映画やひらパー(大阪の遊園地!)など、よく遊びに行きました。
あるとき彼女に「くっちー(当時の私のニックネーム)は、誘い上手やねぇ」と言われ、ビックリしたのを覚えています。(心理学も勉強していないのに)自然と、相手が断りにくい誘い方を体得していたようです。今思えば、それこそビミョーな距離感の敬語を駆使していたのかもしれません💦
1997年
結婚と同時に上京🗼、いつでも子どもと会話ができるように在宅の仕事をと考え、手描きPOP広告を学びました。書店やパン屋、モスバーガーの黒板メニュー、カフェのメニューやチラシ、プライスカードなどを書いていましたが、出産とともに時間が取れなくなりました。
2012年
娘たちが小学校に上がった頃、パン屋🥖🍞のアルバイトを始めましたが、3年後体調を崩してやめることに。でも何もしないでいるのが嫌だったので、何か学びたいと思い、日本語教師養成講座✏️に通い始めました。当初は語学が好きだから…という軽い気持ちでしたが、受講するうちに世界🌎に目が向くようになり、日本語教師の存在意義に目覚めるようになりました。
2017年
受講生仲間に影響され、外国ルーツの子ども支援ボランティア🏫の養成講座も並行して受講しました。そこで日本語支援を待っている子どもたち👫の現状を知り、日本語学校で教師として登壇する前に、ボランティアとして日本語教師をスタートすることになったのです。
そのころ、家庭内でも思いもかけない出来事が訪れます。次女が、苦労して入学した中高一貫の進学校でイジメにあい体調を崩して不登校に。私自身、新しいことを始めるエネルギーが湧かず、しばらく小学校での日本語ボランティアだけを続ける日々でした。
2019年
次女が過去を吹っ切り定時制高校に入り直すことになった頃、改めて私は就職活動を始めました。そしてとうとう日本語学校ライフが始まることになったのです。
…が!登壇して1ヶ月あまりでコ○ナ到来😷。そこからは対面授業とオンライン授業を行ったり来たり。
本当に、世の中何が起こるか分かりません。
自分自身が体調を崩したことも
次女が中高一貫校をやめざるをえなかったことも
コ○ナも
まったく想定していなかったことです。
でも、すべての経験は自分にとって
何らかの意味がある。
無駄なことはひとつも無い。
すべてのことが、今の自分を作り上げているのです。
だからこそ、
私のささやかな経験を
何かの形で
貴方のお役に立てられたら
こんな嬉しいことはありません。
☘️大好きな俳句
実るほど頭を垂れる稲穂かな
ベタですが…🌾
この句を見ると、亡き舅のことを思い出します。
私もかくありたい。
以上、とりとめもない文章になってしまいましたが、おつき合いくださいまして、ありがとうございました🍀
🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀
これまでのコミュニケーション上の試行錯誤を
どなたかのお役に立てられたら…との思いで
コミュニケーション講座を開いていいます。
よかったら覗いてみてくださいね。
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