ファッションホテルで閉所恐怖症になった話
「あー、ヤバい。来そう…」
残念ながらこの予感はほぼ当たる。
数秒後もしくは数十分後、私はまたあの感覚に身を投じることになるのだ。
去年の春頃から、私は閉じた空間が苦手になった。病院で診断された訳じゃないけれど、おそらく閉所恐怖症というやつだ。
私の症状が出るプロセスはこんな感じである。
①閉じられた空間(すぐには出られない。逃げ場がない)であると認識する。
②全身の筋肉がゾワゾワと強張ってくる。③息苦しさを感じる。「怖い」と感じる。
④酷いと過呼吸になる。
今まで症状が出た場所は例えば、飛行機・新幹線の中、映画館・コンサートホール、小規模の水族館、観覧車の中などだ。
症状が出てきたらどうするかと言うと、脳内でひたすら自分の体の実況中継をする。「今胃がきゅっとしたな」とか「肩が強張ってるな」とか。あとは怖い気持ちを外に出す。観覧車の中では「へえええ~」と間抜けな声に乗せて出し、新幹線の中ではルーズリーフに言葉にならない気持ちを書き殴って出した。するとちょっとずつ、いつの間にか、症状が収まっていくのである。
小規模の水族館は完全に想定外で、魚を見ながらキャッキャはしゃぐ娘たちとそれを見守る夫の横で「うわ、まじかー!」と頭を抱えた。この時も確か観覧車の中と同じように、「ほう~~~」って小さく声を出して吐き出したんだったと思う。
夫はもう慣れたもので、「いざとなったら出ればいいから」と言って隣に立ってくれていた。
あれから1年、全然治っちゃないけれど、なんとか折り合いをつけながら今に至る。
さて、この冬の話。
私の実家に帰省した際に、せっかくだから子どもたちを親に見てもらって夫婦でデートしようという話になった。
子育てが始まっておよそ6年。夫婦2人きりの時間はほとんど無い。滅多に無いチャンスである。これは久々に…ファッションホテル行く?と言い出したのはどっちだったか。ノリノリと言う程でもないけれど、心持ちウキウキした気分で私と夫はホテルに向かった。
ホテルに到着。よし入ろうかと玄関をくぐったその一瞬に、私の頭に不安がよぎった。ファッションホテルと言えば、薄暗くムーディーな室内。窓には外から見えないように分厚いカーテンか目隠しがある。
…これ、閉じられた空間じゃね?
あー、ヤバい。来そう。
閉所恐怖症が。
私は部屋に入るなり、服を着たままベッドに横たわった。脳内では警告音のように「まずいまずいまずいまずい」と自分の声が響いている。
そうこうしているうちに私の肩が、二の腕が、頬が、お腹が、ゾワゾワと強張ってきた。
うへええ、やっぱりーーー。
夫が私の横に腰を下ろした。私の異変には気付いていない。
どうする!?何とかいけるか!?
今ならまだ強張りも少ないし・・・。
いやいや、もう経験から分かっているじゃないか。冷静な私が諭してくる。
怖さをごまかそうとすればするほど症状は酷くなっていく。スルーしようと思うほど、体は強張っていくでしょ?と。
うう、でも…。
せっかくの機会なのに。
あんた大体このパターンで失敗してきたでしょ??「自分が黙って我慢してれば大丈夫」的な思考でいたら、漏れなく自分の首を絞める結果になったでしょーが!
冷静な私が声を荒げる。
く…ッ。ムーディーな演出が、今の私には仇になるなんてなぁ。
私は観念した。夫にポツリと打ち明ける。
「夫よ…閉所恐怖症が来た。今、体が強張ってる…怖い」
「ありゃ、そうなの?どうする?出る?」
ケロリとした顔で夫は言った。
ええーーー!ウン年ぶりよ!?
いいの?夫はそれでもいいの!?
とは言え、症状が落ち着く保証もない。私はしばし返事ができないでいた。
夫は続ける。
「しんどかったら無理せんとき。自分は全然ホテル出るのは大丈夫だから」
気遣いがありがたい…けど嫌だあー!!!
寝転んでウンウン唸る私に、夫が腕枕を提案してきた。私は夫の腕に頭を乗せる。
「はあ、怖いなぁ。やだなぁ…」と呟く私に夫は笑って言った。
「え、なんで?怖いままでいいやん」
ええ~~~、どゆこと?正直取り除きたい感覚なんですけどコレ。体がゾワゾワしてんの嫌なんですけど。
夫は目を閉じて言う。
「怖いと思うのは人間の自然な感情やん。それを無理にねじ曲げようとするからおかしくなる。怖いなら、怖いままでええやん」
「怖いままでいい?」
私は心の中で反芻した。
「怖いままでいい」
何だか妙に納得した。「怖い」はただの感覚で、嬉しい・悲しい・楽しいなどと一緒。それなら無理に、自分の中から排除する必要はないよなぁ。
すると急に体の強張りが弱まり、心臓の辺りがふわっと暖かくなったような気がした。「これはもう大丈夫だ」と思った。
実際、大丈夫だった。
およそ3時間が過ぎて部屋を出ようかという頃には、私はもうすっかり閉所恐怖症の症状から脱していた。私の症状が収まったことに夫は何も言及しなかった。いつもそうだ。夫は不必要に私を心配しない。そのスタンスが私には心地いいのだ。
ファッションホテルで症状が出るとは、小規模の水族館以上に予想外だった。こりゃあもうどこで出るか分からんなぁと思う。笑うしかない。ははは。
「あー、ヤバい。来そう」
私はあと何回、この予感をくり返すんだろう。
まぁでも今回の件で「怖いままでいいや」っていうお守りができたから。今後どこで症状が出ても大丈夫かなとも思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?