浮世絵の絵の具ー朱ー

補足
水銀朱(硫化水銀HgS)は現代も人工的に製造されていますが、その製法は「乾式法」から「湿式法」に変わっています。
(「湿式法」→五硫化カリウム等の薬品溶液と水銀とを混合し反応させ、硫化水銀の結晶体を液中で析出させる)

江戸時代、水銀朱(人造朱)の製造と販売は幕府により規制されており、長崎貿易及び琉球貿易を通しての中国からの輸入品以外は、国内では泉州堺のみで製造が許可されていました(少なくとも1700年以降)。
その一方で規制の目をかいくぐり、公的手続きを通さない私造朱が出回ることも多く、享保年間(1716~36)以降は、たびたび取締りが行われていたと文献にあります。

朱は天然にも産出しこれは辰砂と言います(化学式は水銀朱共にHgS )が、当時その主な用途は医薬品だったと言われています。全国の「丹生」という地名はこの辰砂の産地に由来しています。

以下、参考文献内にある江戸時代における朱とその調達ルートについて

①天然辰砂は幕府和薬改所管轄で医薬品として使用。販売は薬種屋(註1)

②水銀朱は幕府勘定奉行管轄で赤色顔料として使用。取扱いは全国6箇所(江戸・京都・大阪・奈良・堺・長崎)の御用朱座

③水銀朱の販売ルートは朱座(江戸・京都にて分配)→各朱座→朱販売所→御免朱賣絵具所→個人

④当時市場に流通していた水銀朱は以下の通り
A・中国産人造朱を長崎貿易で輸入(中国→長崎→朱座)=「光明朱」
B・中国産人造朱を琉球貿易で輸入(中国福州→琉球→薩摩→朱座)=「琉球朱」
C・国産人造朱を堺朱座で製造(堺朱座→幕府勘定奉行→朱座)=「本朱」
D・その他私造朱(公的な手続きを通さない朱で幕府禁令の対象に)=「粉敷朱」

⑤水銀朱には品質・価格のランクも存在し琉球朱ー光明朱ー本朱ー粉敷朱の順

(註1)江戸幕府は当初は辰砂を水銀朱同様に「幕府御用朱座」取扱いにしているが、享保11年(1731年)に薬種屋販売に振替させる、あわせて管轄は幕府和薬改所が統括し、一般の販売と取扱いを禁止します。この時同時に、それまで中国からの輸入品が主要であった辰砂を安定的に供給する為、国産辰砂の原石採掘調査が全国的に実施されます。

参考文献 北野信彦「近世出土漆器資料の保存処理に関する問題点・Ⅲー文献資料からみた赤色系漆に使用する朱の製法についてー」文化財保存修復学会誌41 1997

山領まり編「絵画修復報告No3」山領絵画修復工房 1994

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?