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グループ会話が苦手な理由を深掘り・言語化
私は本質的にグループ会話が苦手です。
多くの人と会話をする際には、2人だけで会話をする場合に比べて、比較にならないくらいに多くの情報が、目や耳から入ってきます。
それらを的確に素早く処理できるかどうかには、個人差があり、私はそこの部分が弱いことはかなり昔から自認しています。
学生時代の頃などは、クラス単位・クラブ単位の集団生活に強制的に放り込まれるため、そこでうまく生き抜くために「グループでの会話を盛り上げること」はみんな意識しますし、私もその例外ではありませんでした。
そして、ある程度は慣れてきたりもしたのですが、グループ会話の後には、どうしても心的疲労が強く残りました(しかし当時は、疲労の自覚はなかったと思います)。
自覚できるようになってからも、なぜそれが疲労となってしまうのか?の部分を具体的に掘り下げて考えることをしませんでしたし、考えることができませんでした。
「自分は集団やグループが苦手。でも、そんなことではこれからの人生ではやっていけない。克服しなければならない」と、長年そう思って自分を追い込んできました。
しかし、あるタイミングで、「自分は集団やグループ会話が苦手だが、その具体的な理由」を特定できるようになり、そこから一気に気持ちが楽になりました。
そして、「自分は集団やグループ会話が苦手だが、もう克服はしなくても良い」ということを自分に納得させることができるようになりました。
今でもその心持ちは基本的に変わっていません。
しかし、ふと思ったのです。
「グループ会話は別に苦手なままでも良い。でも、苦手なままでもグループ会話にまた、戦略的に参加してみても良いのではないか?」と。
何故そう思ったのか?
それは、近々、小学校の同窓会が開催されるという情報が入り、これに参加することになりそうだから。
集団やグループ会話が苦手なら、無理に参加しなければいいんじゃないか?
そんな声も聞こえてきます。
しかし、今回は、比較的近しい友人が起案したものであり、比較的早い段階で私にも声がかかってしまった。
要するに、同窓会の発起人の周辺に私はおり、これから協力しながら同窓会開催へと運んでいくといったタイミングなわけです。
そして、小学校の同窓会には、なによりも「すげえ懐かしいし、ちょっと行ってみたい」という気持ちが実はあります。
そう、私は昔から影が薄い存在(だと自分では思い込み続けている)のですが、
当時のクラスメイトは、その中でも比較的いいやつが多く、また友達になれた人の数も、他の学年の時よりも多かったのです。
つまり、私の中では学校生活では珍しく「比較的楽しかった時代」なのです。
同窓会なんて、めったにない機会です。
人生に1、2回、あるかどうか。
それなら、参加してみてもいいし、強く湧き上がる懐かしさの感情と、積もりに積もった話のタネだっていくらでもある。きっと楽しい。
グループ会話とひと口に言っても、その場にいる人達のタイプやシチュエーションなども異なり、実に様々だ。
今回の同窓会に関しては、苦手なグループ会話といっても、比較的ハードルは低そうだ。
これをきっかけに、グループ会話が楽しくなり、またしんどくなりにくい方法を模索してみてもいいのではないか?と思ったのが、今回の記事を書くきっかけです。
まずは、グループ会話が苦手な理由を深掘り
3人以上で会話になったときに、具体的にどんな時に心が傷つくか?を考えてみます。
以下、箇条書きで書き出してゆきます。
自分の発言に対して、誰からの反応もなかったとき
自分以外の2人以上で会話の内容(=特に何か自分達で計画などを進めているような場合)が進展してゆき、自分だけがついていけなくなったとき
自分だけが知らない話題になったとき
自分が興味ない話になったとき
→自分は興味ないわ、と言ったら、周りがドン引いたのが辛い
→だから自分は興味ないわ!と言いたいのに言えないのが辛い
自分だけが弄られはじめたとき
自分が黙っていても、誰もうまく話を振ってくれないとき
あまり親しくない人(もしくは、まだ話したことがない人)がその場にいて、その人が人見知りをして(あるいは故意に回避してきて)私には絶対に話しかけてくる感じがしない場合
あまり親しくない人(もしくは、まだ話したことがない人)がその場にいて、その人に勇気を持って話しかけてみたら、やっぱりあまり話しが続かなかったとき
上記グループ会話で発生するストレスを回避するため、3人以上の場に参加しないようにすることは簡単な解決法。
→では、3人以上の会話の場でも「ストレスをうけにくい考え方」にもっていくには、どうしたらいいか?を一歩踏み込んで考えてみます
・自分の発言に対して、誰からの反応もなかったとき
A. 自分の発言がおかしかったのか?とか自分を責めるのではなく、「…まあ。そういう時もあるよね」と流す
・自分以外の2人以上で会話の内容(=特に何か自分達で計画などを進めているような場合)が進展してゆき、自分だけがついていけなくなったとき
A.何から聞いていいかもわからなくなり、もはや参加できない…と落ち込むのではなく、素直に「ごめん、途中からわからなくなった。どうなったか教えて?」と聞くか、潔く諦める
・自分だけが知らない話題になったとき
A.自分だけこの場にいるべき人間じゃない…恥ずかしい…と思うのではなく、素直に「何?何の話?」と聞く。それで「え、知らないの??」と言われたら、凹むんじゃなくて、「はい。知りませんが…何か?」とニュートラルに対応する。
・自分が興味ない話になったとき
→自分は興味ないわ、と言ったら、周りがドン引いたのが辛い
→だから自分は興味ないわ!と言いたいのに言えないのが辛い
A. 辛くなるのではなく、興味がないという事実を認め、心を無にして黙って瞑想する。
・自分だけが弄られはじめたとき
A.弄られはじめたタイミングをメタ認知で自覚しておき、取り敢えずは場の盛り上がりに応じてノッておき、一線を超えないように冷静に監視。怒りの琴線に触れたら、冷静に自分の気持ちを伝える。
・自分が黙っていても、誰もうまく話を振ってくれないとき
A.「みんな私を放置しないで!私に話を振って!」という期待を捨てる。心を無にして黙って瞑想する。
・あまり親しくない人(もしくは、まだ話したことがない人)がその場にいて、その人が人見知りをして(あるいは故意に回避してきて)私には絶対に話しかけてくる感じがしない場合
A. 「ああ、このパターンね」とまずは自覚する。そして、何でもいいので試しに話しかけてみる。あるいは、相手の言うことにちゃんと伝わるように相槌を打ってみる。それでリアクションが返ってくるかを試す。中々スルーが続いて、しんどくなってきたら、意識の外に放り出してもよい(まあ、スルーされても気にしなければよい)
・あまり親しくない人(もしくは、まだ話したことがない人)がその場にいて、その人に勇気を持って話しかけてみたら、やっぱりあまり話しが続かなかったとき
A. 「ああ…話が続かなかったなあ」として、水に流す。あとは心を無にする。(相手から理由もなく生理的に嫌われている場合は、相手の心の問題でありこちらではどうしようもない)
上記の感じで、細かくシチュエーションを書き出し、その解決法も細かく言語化してゆきます。
すると自分が無意識に何に悩んでいるのか?何がストレスに感じてしまっているのか?が具体的になってきます。脳が整理され、対策も立てやすくなります。
こうして書き出してみることは、昔から続けてきました。やることは変わってません。
コミュニケーションの問題で悩んだら、一旦書き出してみる。そして解決法が炙り出されたら、幸福度が少し増えます。
でもそれで終わりではなく、終わりとしていたことでも別の視点があるのではないか?と思ってみること。
別の視点が発見できたら、またそれを書き出してみる。そして解決法も思いつく限り書き出してみる。
日々のその繰り返しで、幸福度は増えてくるのだと思うのです。