そして、2024年1月1日、ちょー北の方の磐田と浜名区で。
普段より長い記事です。
新春恒例の撮影旅行
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。宇宙に喜び多からんと書いて宇喜多・W・要出です。好きなウィキペディアの記事は[[バネ]]です。
私の中でのみ毎年恒例となっている、元日の撮影旅行へ、今年も行ってきました。去年は藤枝へ。今年は天浜線沿線です。
天竜浜名湖鉄道とは、掛川を出て、森の中心街を通って、磐田の北の端っこを経て浜松に入って、浜名湖の北を抜けて、愛知との県境まで行く鉄道です。電車じゃないよ。ディーゼルだよ。振動が心地よいものの、古さからなのかバネなのか、カーブでは車体全体をゆさゆさ揺らしながら走ります。
敷地駅・豊岡駅
今年、天浜線沿線を選んだのは、第一に静岡県道284号線を撮りたかったからです。下の記事からもわかる通り、私、短い県道に目がないんです。
もちろんそれだけではもったいないので、旧敷地村役場、磐田市豊岡支所なども撮影しました。敷地も豊岡も、ちょー北の方の磐田です。
宮口駅
続いて宮口駅でも降りました。ここにはグーグルマップに載っていない記念碑・標柱があるのです。いつかの記事でも似たようなことを言いましたね。
この看板、両面です。全く同じ内容がなぜか裏側にも書いてあります。
では標柱の裏はというと、浜北市教育委員会の文字があります。
浜北区と北区の大部分は撮影したまさに2024年1月1日のその日から浜名区になりました。地名としてはどこも浜北を名乗らなくなったのです。この標柱も、まさか自分自身がが歴史のあかしになるとは思ってもみなかったことでしょう。
金指駅
そして金指です。こちらはレンタサイクルを借り、南の都田川へ、そして北の井伊谷(いいのや)へ行きました。
井伊谷はその名の通り、井伊家の盆地です。龍潭寺や井伊共保公出生の井戸の画像はあるのですが、盆地全体の画像がありませんでした。あと、都田川のほとりには井伊直親のお墓があります。また正月にお墓を撮ってしまった。
撮るついでに都田川の河原でお昼を食べました。コンビニおにぎりだけど。
これがむっちゃ……むっちゃ、良かった……
暖かくて、さりとて花粉もなく、元日なので交通量も騒音も通行人も皆無に等しくて……良かった……年末からお仕事がなかなか納まらず、大晦日にようやく手が空いたぐらいだったのです。
よろこびがある~
ちいわた
帰りの車内で
(ゴトンゴトン ぐわんぐわん)
うきたわ「……」
テンタロ「寝ちゃったッ」
うきたわ「ゥ……」
テンタロ「しょうがないよ 疲れたもんねッ!」
うきたわ「ィ……」
(ぐうん!)
うきたわ(おきた)「ワッ!?」
テンタロ「な、なになにっなんだろっ?!」
運転鎧さん「運転士だけどッ! 震度4のおそれがあるって今言われたからッ! 最徐行に切り替えるねッ!」(実際はもっと沈着冷静)
テンタロ「えっ なっ なになに!?」
うきたわ「ウ……ウワ……」
テンタロ「……」
うきたわ「……」
テンタロ「もともと揺れる電車だから、よくわかんないね」
運転鎧さん「遅れるッ! ごめんねッ!」
掛川駅
天浜鎧さん「そっちは?」
東海鎧さん「……なんとかしてる」(遅延)
テンタロ「なんか、大変なことがおきちゃったね」
うきたわ「ウ……ウ……」
テンタロ「泣いちゃっ……」
うきたわ「フ!」
テンタロ「てない!?」
うきたわ「ヤーッ!」
テンタロ「え!? 新幹線で帰るの!? 在来線の倍くらいかかるよ!?」
うきたわ「ゥンッ!」
テンタロ「え!? いま出来ることをたくさんやる!? 凄い! カッコイイ! パロ元と逆だねっ!」
うきたわ「ヤーッ!」
テンタロ「帰ろう! いま出来ることをたくさんやろう!」
うきたわ・テンタロ「「オーッ!」」
うきたわ「あと、荒れている記事に張り付いている時が最も生を実感する」
テンタロ「うそつけ夕飯食べながら編集してたろ」