人生は課金ガチャ ~大事なことはアプリゲーから教わった~
数年前に友人と岩手県の景勝地、猊鼻渓に行ったことがある。
舟下りをしたあとに、願い事を込めて穴に向かって石を投げ、穴に入ったら叶う的な、そういう験担ぎがあって。石も適当なそこらの石ではなく、お金を払って調達するんですけど、そのときに友人が言った言葉が印象に残っている。
「人生は課金ガチャ」
友人は穴に石が入るまで石を買い続ける、いわゆる「札束で殴る戦法」でこのイベントを攻略した。
友人の行動はともかくアプリゲーから学んだことは個人的にも多く感じる。
時間の大切さ
自然回復するタイプの行動力が設定されているゲームだと、一日に回復する量に上限がある。加えて行動力が満タンまで回復すると超過した分が無駄になる。そこから逆算して行動力を無駄にしないようにゲームをするようになる。行動力を回復させるアイテムが課金アイテムだったりすると、尚更タイムイズマネー感が増す。
ゲームする時間自体が暇つぶしで無駄な時間とも言えなくなかったのに、無駄を省いてゲームをしだすと苦しい気もする。それでゲームをさせられている気分になったら辞め時だと個人的には思っている。
初期ステータスはガチャ
どの時代のどの国のどの地域のどの家庭にどの順番でどの性別で生まれるかはわからない上に、リセマラかけられないからね。
某ラジオ番組で「実家が東京にあるのは才能」という言葉を聞いたことがある。自分は東京出身なのでその実感が薄かったが、上京してきた友人たちの苦労話を聞くと、自分は恵まれているという気はしてくる。
試行回数がすべて
レアドロにせよガチャにせよ確率は収束するらしい。百発百中とはいかなくても、百発撃ったら一発くらい当たって欲しい。
とはいえ残弾がどれくらいあるかは人によるし、なかなか当てられない人にいつまでも銃を持たせ続けるほど周囲の理解があるかは疑問。ヘタクソだからととりあげられても文句は言えない気もする。
でもだからこそ、許される限りは撃ち続けて命中させたいよね。
宗教はいかに諦めがつくか
ガチャで望みの結果を出すための験担ぎやルーティンのことを「宗教」と揶揄したりする。
本気でそうなると信じているとか、望み通りの結果を出すためというより、これだけやって自分の気持ちに手続きをして、それでも望み通りにならなかったときに諦めがつくようにやっている気がする。
何事も自分が納得できるかどうかだからなあ。
おわりに
ゲームがじつは役に立つとかためになるとか言いたいわけではなく。私は勝手にこういうことを学んで、それがわりと生活の役にも立ってるよというお話。
時間が大切だと認識するようになったし、自分が恵まれていると気づくことができたし、何回お祈りされてもめげずに履歴書書いたし。それでダメでも、やるだけやったなら諦めがつくようになったし。
引きこもりから社会復帰。からの再ドロップアウト。からの再復帰に向けて『虎視眈々と淡々と』。
『FGO』と『とじとも』と『仮面ライダーシティーウォーズ』をヌルく楽しんでいます。
でもやっぱり『人生ほど素敵なショーはない』のかもしれませんね。