
椅子取りゲームでしかない世の中で
お年寄りに席を譲ろうとは思っているんです。
でもなかなか声をかけられない。
譲ったら「年寄り扱いするな」ってキレられた的な事例も聞いたことがあるというか。マックでJKが言ってた的なネットおとぎ話にあったような気もする。
譲る練習も譲られる練習も必要だよね。
「80歳です!座りたいです!席譲ってください!」って言える世界だったら、それはユートピアだろうか。ディストピアだろうか。
席を譲りたい人と譲られたい人のマッチングアプリが必要なのかもしれないな。
優先席的な意味で優先したほうが良い人がいるのは確かな一方で、健常者が突発的に体調崩して椅子に座りたい場合もある。ってか、あって良い。
ヘルプマークとかお腹に赤ちゃんがいますマークとか関係なく、座りたい人が「座りたいから譲って」と言いやすいと良いんだけど。
でも初対面の人に「椅子譲ってください」って言いづらいよね。
子どもの頃のお出かけ中に、電車の中で体調を崩して親切な人に席を譲ってもらったとき、幼馴染から「上手いことやりやがって」と言われたのを覚えてる。
「誰か譲ってくださいボタン」を車両につけたらいいのだろうか。
「降ります」って言ってどいてもらえなかったけど「吐きます」って言ったらどいてもらえたというネットおとぎ話も聞いたことあるなあ。
見た目で元気そうな人が本当に元気かはわからないし、相手を選別することはできない。
故に誰かの善意にフリーライドして悪用する。
元気なのにいつも譲ってもらって座る人も出てくるだろうけど、個人的には全然そういう人もいて良いと思ってる。
不正受給も貧困ビジネスまでいっちゃうと困るけど、まずは福祉が行き渡ることが大事だよ。
究極的には優先席を無くすというか、すべての椅子が座りたい人を優先する席になって、ヘルプマークもなくなるくらい社会が成熟したらいい。
電車内以前に、公園だって駅前だって排除アートだらけで座れなくなった。
「軒を貸す」って言葉のある国とは思えない不寛容さだ。
ちょっと疲れたからって、腰をかけることも許されない。社会はそんなに健康で元気な人ばかりでできてるわけじゃないのに。
席を譲るべきなのは若者ではなく古い水夫のほうかもしれない。
でも若者もいつかは古い水夫になるんだよなあ。
どうせみんないつかのたれ死ぬのに、行き倒れられない国になってしまった。