推しを物乞いにしてしまった
推し活に思うことを書く。
国立科学博物館のクラウドファンディングの大成功も記憶に新しい。私も保護猫カフェのクラファンに参加して、自分が大切だと思うものを守るためにお金を出すことには躊躇はない。
長く続けてほしい。取り組みを守りたいという気持ちはいわゆるSDGsだ。本家SDGsであればフェアトレードコーヒーなんつったりして、持続可能な仕組み作りは大事なわけですよ。
翻って推し活、というか推し活ビジネス。
私もアイドルは好きなんだけど、なんだか推しを物乞いにしてしまっているような気がして、こんなはずじゃなかった感がすごい出てきた。
確かにファンが1000人いれば、その1000人が毎月300円ずつくれれば月収30万だから暮らしていけるわけだよね。
長者番付に乗るようなスーパーお金持ちやスーパースターを目指す必要はない。
ニッチな需要に応えていくことは生存戦略として正しいと思える。
一方でチェキとかアクリルスタンドとかクリアファイルとかこんなにいらんねん問題というのもあってだな。
どれだけお金を使ったかだけが愛の深さの証明手段なのは貧しい気がする。もちろん「金がすべてじゃないなんてきれいには言えない」んだけど。
高級カシミヤ靴下よりあのちゃんが脱いだ靴下のほうが買いたいもんね。
靴下である必要もないから、鼻かんだティッシュとかでも買う人はいるだろう。大量生産を考えるならあのちゃん一人に鼻をかませ続けるより、あのちゃんみたいな人をたくさん用意して鼻をかませる方向に向かうよね。
経済学だっけ。悪貨は良貨を駆逐するって。
アイドルって仕事はセーフティネットとしての機能を帯びてしまっている時代なんだろうな。私は昭和生まれだからどうしても馴染めないけれど。
その仕事でなければ社会に居場所を得られなかった人もいる。
アイドルとYoutuberとスーパーチャットで投げ銭もらう配信者の垣根がグラデーションであるなら、ネット乞食を揶揄されていた層との垣根も曖昧になる。
世界がもし1000人の村だったらお互いに毎月100円ずつ渡して全員が月収10万になるというのは持続可能なのだろうか。この程度の計算をするのも面倒くさくなるくらい社会人になると何事もめんどく山脈である。
わざと間違った計算をすると「間違ってますよ」と指摘したがりのマウンティングゴリラが教えてくれるらしいライフハックを聞いたことがあるが、おっかないからそれはしない。
その数字の向こうに人がいることを忘れないでいられる数はいくつだろう。