ペナルティのない社会
サポステを経て働くようになった。
最初は「何でもやります!」と即断即決かつ二つ返事をモットーにフットワーク軽く動き回っていた。
そうしなければ仕事を任せてもらえないし、こんなこともできるとアピールすることで自分の居場所を開拓し作る必要があった。
けれど最近は、いつクビになるかわからないから何でもやってという段階ではなくなっていたようだ。
既に職場内に〝いて当たり前〟のポジションを確立しているし、端から見たら10年以上引きこもっていた人に見えないようだ。
困ったことにまともな人に見えてしまう。昔のままで見られたいというのは、今更無理なんだなあ。
最初の担当相談員からは「雨琴さんは、縁で決まると思う」と言われていた。
単純にブランクの多い高齢ニートは通常の就活をしようにも、書類選考や面接をパスしづらい。
そこを通っても即戦力になれないから、人柄を知ってくれている企業にコネ入社したほうが安心。
というかそれ以外のルートが難しいというのもあるけれど。
私はコミュニケーション能力はないけど人と話すのは好きだったから、ご縁を大事にすることは意識していた。
同じ担当相談員から「仲良くなってどうしたいの?」と言われてしまうこともあったけど、その質問の答えは未だにわからない。
「モデルケースになる人が見つかるといい」というのは最初の担当相談員からもその次の相談員からも言われていた。
正直結局見つかっていないけど、私のモデルケースはなりたい自分というか。未来の自分自身こそがモデルケースなのではないかと最近は考えている。
「親にも言えないことがある」ことを尊重してくれた二人目の担当相談員に「猫好きですか?」と聞いてみた。
「雑食の動物はあまり美味しそうじゃないね。やっぱり草食のほうが」と言っていた。
私も仕事で関わる子どもたちに「馬好き?」と聞かれて「美味しいよね」と言ってしまっていたので、私はこの人の教え子なのだなあと実感した。
問題は別に馬肉好きじゃないのにそういう回答をしているタチの悪さだけど。私は決して善人ではない。
『モノンクル』的にいい加減でなく良い加減で風通しをよくしていくこと。
つまりは遊泳区域を広げることこそ、これからの大人の役割という気がしている。
私より長くサポステ利用してるけど一回もインターン行ってないし、履歴書だって書いたことなさそうな人もいる。
社会参加と言うけれど、「参加してないと困ることになる」ってのは参加のアドバンテージじゃなくて不参加のペナルティである。
社会復帰というからには、復帰したくなる社会であってほしい。