阿久悠と水野良樹と僕

今日8月1日は作詞家阿久悠さんの命日ということで過去に自分なりに阿久悠さんについてまとめた文を一度載せていますがまたこのタイミングで載せます。長いですがぜひ!

いきものがかり水野良樹の阿久悠をめぐる対話の放送から約三年、放送後から自分なりに阿久悠さんについて学んだこと、触れた言葉たちを文にしていきました。

1,阿久悠と水野良樹と僕

(ここではあえて、水野良樹、阿久悠と呼ばせてもらいます。)

なぜ、僕が阿久悠を意識し始めるようになったかと言うと、もともと昭和歌謡に興味があったことと、2015年のことになるが、水野良樹がラジオ番組で尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」を取り上げ、阿久悠の話をしたからだ。

内容としてはこうだ。

「まさに阿久悠さんは時代と寝た人でしたね。僕も寝る気満々です。」

この一言がきっかけだった。

何も感じない一言かもしれないが、何故か、この言葉に飲まれた。

何故か、この言葉に水野良樹が阿久悠をどれだけ尊敬しているか、憧れているかがわかったような気がした。
熱い語りをしていた。

これが僕が初めて感じた、阿久悠を見つめている水野良樹の構図だった。

そして、阿久悠という人の歌を聞くようになった。

それから2年後の2017年の夏、ある特番の情報を知った。

それは、水野良樹が阿久悠を巡る特番をすると言う情報。

聞いたときは動揺した。
再びあの熱い語りが聞けると思った。

そして、阿久悠の未発表詞に音をつけたという情報だった。

曲の名は「愛せよ」

今回はその番組で感じた、阿久悠のこと、「愛せよ」という曲のことを書こうと思う。

そしてこの番組はATPテレビグランプリ最優秀賞を受賞されています。

まずは阿久悠(深田広之)、制作陣、対談者の皆様、水野良樹、すべての方の熱が伝わった結果だと思います。

阿久悠という作詞家の熱が現在にも続いているんだなということを感じました。

この番組に携わったすべての方に敬意を込めて、言葉を紡いでいこうと思います。


まず、阿久悠を語る上で一番最初に思いつくのは、あの芸術作品とも言うべき、直筆原稿である。

阿久悠は、すべての音楽作品を直筆の原稿で書いている。

一つは、作曲家、歌い手達に熱を伝えるためであったと思う。

もう一つ感じられるのは、阿久悠は、直筆の原稿で作品を作ることが好きだったんじゃないか?

阿久悠の原稿は何度か拝見したが、やはり、書き損じなどはなく、完成された作品のように感じる。

やはり、プライドが高く負けず嫌いな阿久悠は、書き損じが嫌いで捨ててたのではないかな?

彼はまず、タイトルで作曲家・歌い手に訴えかける。

タイトルにすべてのイメージがあると言っては過言ではないほど、タイトルに色んな思いを込めていたに違いない。

なかなか、原稿を直接目にした者にしかわからない何かがそこにはあるのだ。

僕はこの原稿達を見て思ったのが、
原稿=阿久悠なのである。

これは意味がわからないかもしれないが、水野良樹も、「愛せよ」の原稿を家の鍵盤の前にしたとき、かなりの圧を感じたと言っている。

原稿が阿久悠そのものなのである。

本人は確かにその場にはいない。
だが、原稿の中に阿久悠がいるのだ。

阿久悠はいつものお気に入りのペンを使い、生涯直筆にこだわり、原稿を書き続けた。

当時、彼がヒットメーカーと言われた時代、熱を受け取り、熱を感じ、作品を作った作曲家達、そして阿久悠の思いや熱を掴み歌っていた歌い手達は、原稿が阿久悠という意味を感じ取っていた様に感じられる。

阿久悠は、時には、世間に対して思っていること、自分自身のことを歌い手を利用し、言葉を世間に発信し続けた。

時には、自分や世間のことを書きすぎてしまい、時代に合わせようとしすぎて時計の針が合わずにヒットと呼べなかった曲達もたくさんあるだろう。

阿久悠は、恐らくその曲達がなぜヒットしないのか、悔しい思いをしていたと思う。

まさに、時代を喰い時代に喰われてしまったように感じます。

2,時代

阿久悠は「時代」という言葉を使い続けた。

僕はこの「時代」という言葉に惹かれた。

よく今の世の中、「時代」という言葉は頻繁に使われていて、「時代だから」という言葉をよく耳にする。

僕はこの「時代だから」という言葉にすごく違和感を持っていて、ずっと疑問に思ってきた言葉である。

時代という言葉は「ときのしろ」と書いて時代と読む、大きな言葉である。

なのに何故、世の中は狭い意味でこの「時代」という言葉を安易に使っているのか不思議で仕方がなかった。

「時代」とは何か、ずっと僕自身悩んでいた。

そして、この番組の中で作られた「愛せよ」に僕はその答を見つけたような気がした。

その一節がこれである。

「時代は常に姿を変えて若い心を試す」

僕は何かこの言葉に、時代に対する問への答えを見つけたような気がした。


対談の中で印象に残った言葉が2つある。

まず、糸井重里さんがおっしゃっていた、

「時代という言葉を使い始めてから、つまらなくなった。」

という言葉。

秋元康さんがおっしゃっていた、

「時代を追いかけたりすると、必ず、時代から1分遅くなったり、1分早くなったりする。

阿久さんはそれがわかっていたから、同じ場所で、ずっとお書きになってたんじゃないかな。」

「止まっている時計は、日に2度正確な時間を指す。

つまり待っていれば、いつか自分と時代がぴったり合う瞬間がくる。」

この言葉である。

糸井さんがおっしゃっていたこの言葉を聞いた時はドキッとしましたね。

かなり強い言葉ですが、的を射ているような気もするこの言葉。

阿久悠は時代を追いすぎるばかりに、自分の思いが出すぎてしまい、言葉が厳しく、世間からギリギリのラインの歌も多かったように感じます。昔のインタビューでは時代を常に意識していると阿久悠は答えていました。

これは水野良樹も口にしていましたが、まさにその通りのような気がします。


阿久悠は、1986年に「時代おくれ」という曲を河島英五に書いていて、この曲は、河島英五という人物のことを歌いつつ、阿久悠自身を歌ったように感じる。

歌の中では「人の心を見つめ続ける時代おくれの男になりたい」と歌っていて、世間というより家庭の日常を歌ったような曲である。

実は当時はあまり売れず、ヒットしたのは、6年後でした。

針が合わなかったこの曲は、バブル成長が終わったときに針が合いヒットしたのである。

まるで、この曲は阿久悠の分身のように感じます。


阿久悠は母校、明治大学に言葉を残している。
それは「時代遅れの新しさ」という詩である。

「時代に遅れないようにというのがモットーでそればかりを考えて来たが
近頃になってどうしたら上手に時代に遅れられるだろうかと懸命に考えている」

時代の針を合わせようとしてきたが、最近では合わせないように作ってるという風に感じる描写である。

やはり、常に時代という物と戦っていたように感じます。

秋元康さんの言葉で感じるのは、やはり、阿久悠は常に時代というものと戦っていて、時代に喰い喰われていた。

時代で美味しいご飯を食べていた時もあれば、時代で貧しい思いをしていたのではないかと僕は思います。


「水野さん、また読みたいところがあったらいつでも連絡ください。
父は闘病だけじゃないんで。
作詞家として戦いつづけたひとですから。」

深田太郎さんがおっしゃった、この言葉に通じますが、

生涯を掛け時代と戦い続けた深田公之(阿久悠の本名)は、死ぬまで阿久悠を辞めませんでした。

深田公之としては亡くなってますが、阿久悠としてはまだ僕は亡くなっていないように感じます。

それはまだ音楽番組や、街を歩いていてまだ阿久悠の歌が聞こえるからだ。

僕らの心の中に、阿久悠は生きているのである。

その時代に生まれてなかった僕らにでも、気づいたら口ずさめるような歌をたくさん残していた。誰もが一曲は口ずさめるのではないだろうか?

今日も阿久悠の歌が聞こえてくる。

ゆえに、まだ阿久悠は死んでいない。

2,時代

阿久悠は「時代」という言葉を使い続けた。

僕はこの「時代」という言葉に惹かれた。

よく今の世の中、「時代」という言葉は頻繁に使われていて、「時代だから」という言葉をよく耳にする。

僕はこの「時代だから」という言葉にすごく違和感を持っていて、ずっと疑問に思ってきた言葉である。

時代という言葉は「ときのしろ」と書いて時代と読む、大きな言葉である。

なのに何故、世の中は狭い意味でこの「時代」という言葉を安易に使っているのか不思議で仕方がなかった。

「時代」とは何か、ずっと僕自身悩んでいた。

そして、この番組の中で作られた「愛せよ」に僕はその答を見つけたような気がした。

その一節がこれである。

「時代は常に姿を変えて若い心を試す」

僕は何かこの言葉に、時代に対する問への答えを見つけたような気がした。


対談の中で印象に残った言葉が2つある。

まず、糸井重里さんがおっしゃっていた、

「時代という言葉を使い始めてから、つまらなくなった。」

という言葉。

秋元康さんがおっしゃっていた、

「時代を追いかけたりすると、必ず、時代から1分遅くなったり、1分早くなったりする。

阿久さんはそれがわかっていたから、同じ場所で、ずっとお書きになってたんじゃないかな。」

「止まっている時計は、日に2度正確な時間を指す。

つまり待っていれば、いつか自分と時代がぴったり合う瞬間がくる。」

この言葉である。

糸井さんがおっしゃっていたこの言葉を聞いた時はドキッとしましたね。

かなり強い言葉ですが、的を射ているような気もするこの言葉。

阿久悠は時代を追いすぎるばかりに、自分の思いが出すぎてしまい、言葉が厳しく、世間からギリギリのラインの歌も多かったように感じます。昔のインタビューでは時代を常に意識していると阿久悠は答えていました。

これは水野良樹も口にしていましたが、まさにその通りのような気がします。


阿久悠は、1986年に「時代おくれ」という曲を河島英五に書いていて、この曲は、河島英五という人物のことを歌いつつ、阿久悠自身を歌ったように感じる。

歌の中では「人の心を見つめ続ける時代おくれの男になりたい」と歌っていて、世間というより家庭の日常を歌ったような曲である。

実は当時はあまり売れず、ヒットしたのは、6年後でした。

針が合わなかったこの曲は、バブル成長が終わったときに針が合いヒットしたのである。

まるで、この曲は阿久悠の分身のように感じます。


阿久悠は母校、明治大学に言葉を残している。
それは「時代遅れの新しさ」という詩である。

「時代に遅れないようにというのがモットーでそればかりを考えて来たが
近頃になってどうしたら上手に時代に遅れられるだろうかと懸命に考えている」

時代の針を合わせようとしてきたが、最近では合わせないように作ってるという風に感じる描写である。

やはり、常に時代という物と戦っていたように感じます。

秋元康さんの言葉で感じるのは、やはり、阿久悠は常に時代というものと戦っていて、時代に喰い喰われていた。

時代で美味しいご飯を食べていた時もあれば、時代で貧しい思いをしていたのではないかと僕は思います。


「水野さん、また読みたいところがあったらいつでも連絡ください。
父は闘病だけじゃないんで。
作詞家として戦いつづけたひとですから。」

深田太郎さんがおっしゃった、この言葉に通じますが、

生涯を掛け時代と戦い続けた深田公之(阿久悠の本名)は、死ぬまで阿久悠を辞めませんでした。

深田公之としては亡くなってますが、阿久悠としてはまだ僕は亡くなっていないように感じます。

それはまだ音楽番組や、街を歩いていてまだ阿久悠の歌が聞こえるからだ。

僕らの心の中に、阿久悠は生きているのである。

その時代に生まれてなかった僕らにでも、気づいたら口ずさめるような歌をたくさん残していた。誰もが一曲は口ずさめるのではないだろうか?



ゆえに、まだ阿久悠は死んでいない。


3,愛せよ

彼の半生は、まさに時代という言葉に、ある種、捕らわれていたのかもしれない。

そんな彼はあえて、未発表詞を残していたように強く感じる。

自分がどこかで、必要にされていると感じ、それを信じながら。

そしてそのある曲とは「愛せよ」という曲である。

これは、水野良樹が番組の中で選び書いた曲である。


愛せよ
作詞 阿久悠
作曲 水野良樹

どこから来たのか どこへ行くのか
ぼくは一体誰か
何が望みで何が夢か
どうすることがいいのか
ある日ある時若者たちは
そうしたことに気づいて
おさない胸にやきつく景色
求めてひとりでさすらう

時代は常に姿を変えて若い心を試す
何が恵みで何が罪か
このままいてもいいのか
ある日ある時若者たちは答を探しあぐねて
心に汗をかくことだけが青春なんだと信じる

すべてを愛せよ 生きて行くなら
胸の扉を開き
からだ傷つけ 心痛め
それでも誰か愛せよ

ある日ある時若者たちはただそれだけを知らされて心のうちの迷いを捨てて
忘れた言葉をつぶやく

愛せよ 愛せよ
すべて愛せよ
人を 自然を 時代を
きみよ 愛せよ きみよ 愛せ
愛せよ 愛せ 愛せよ

愛せよ 愛せよ
すべて愛せよ
人を 自然を 時代を
きみよ 愛せよ きみよ 愛せ
愛せよ 愛せ 愛せよ
愛せよ 愛せ 愛せよ

「愛せよ」という曲は、その番組内で、阿久悠が残した未発表詞に水野良樹がメロディーを付け、亀田誠治が編曲をし、山本彩が歌い、世に出たものである。

この詞は、1989年、今から30年前の昭和最後の秋に書かれた詞である。

阿久悠が生まれ育った昭和の終わりである。

まさに時は時代の変わり目、阿久悠が変わりゆく時代を見つめ時代を想像し、書いたものである。

この曲は、この今の世の中、平成で出来ていないことを予言していたかのように、命令形で残している。


今までの阿久悠の作品とはかけ離れて違う何かを、彼は現在(いま)に伝えたかったのか。

この曲は水野良樹もおっしゃっていたが、あれほど技術を持った阿久悠が珍しく、こぼれているように感じるのである。

詞の中では、今の時代を歌ったように、何度も「愛せよ」という命令形の言葉を使い残している。

阿久悠が命令形で曲を残したことはあまりなかった。
それほど何かを強く訴えかけている曲である。


これは直筆原稿のタイトルを見たときにも感じたのだが、「愛せよ」という字がどこか悲しく泣いているように見え、魚のように泳いでいるように感じられた。
それほど訴えかけるものを感じた。

今の世の中はひとりひとりが自分自身の答えを正義として語っていて、分かり合えていない世の中のように感じます。

そんな時代だからこそこの「愛せよ」という言葉はすごく強い言葉で、

人を愛しなさいよ、時を大事にしなさいよ、自然を愛しなさいよ、

人間を愛しなさい、時代を大事にしなさい、災害ですらもそれすら全てを愛しなさいと。

彼はわかっていたのかもしれない。こうなる世の中を。
まさに今こうして生きる我々に。

彼はこの曲の登場人物を若者たちにした。

若者という単語を使い、聞き手を限定しないために、若者と言う表現を広い意味で使っていると思います。

この詞に出てくる、若者=年齢を問わず今を生きるすべての人のことを表しているように感じます。

そして、時代という言葉を「とき」と置き換えてまで何度も使われている。

そこまでして時代という言葉にこだわった。

時代という言葉を使い、何か、その時代を生きる人々に伝えたかったのではないか?と感じます。

同時に阿久悠は「愛せよ」と同時期に、「昭和最後の秋のこと」という曲を残しています。

「愛せよ」と同じ愛や時代背景を桂銀淑が歌った曲です。

この2曲は対照的で、
「昭和最後の秋のこと」に関しては、昭和という時代を歌っているのに対し、
「愛せよ」はこれからの時代を歌っているからです。

阿久悠はこの二曲を書いた時に、何を思い言葉を紡いだのか、阿久悠がこの場にいらっしゃれば聞いてみたいところです。


阿久悠は昭和と平成の違いをこう書き残しています。

「昭和と平成の間に歌の違いがあるとするのなら、昭和が世間語ったのに、平成では自分だけを語っているということである。

それを「私の時代」と言うのかもしれないが、ぼくは、「私を超えた時代」の昭和の歌の方が面白いし、愛するということである。

有視界の私の世界よりも、時代を貪り食いながら太ったり、きれいに化けたりしていく世界の方が大きい。

その大きい世界から、私に似合いのものを摘み出すのが、歌謡曲と人間との関わりであったのである。

だから、ぼくは今もって、平成の人間には支えきれない重さと大きさに、歌謡曲はなってしまったのだと誇ることにしているのである。」

まさに阿久悠が求めていた詞に通ずる部分がある言葉です。

現代では、「俺」、「私」の叫びを聞けといったような音楽が多いように感じます。

ウォークマンが1970年代の終わりに発売され、普及、イヤホンでひとりひとりが自分の好きな音楽を聞くようになった。

そのため、世間を歌った曲は影を潜めたのである。

そのため、阿久悠は生まれ育った昭和という時代を誇ったのである。

阿久悠はウォークマンにイヤホンを繋いで音楽を聞くことを、音楽を点滴するようなものだと発言している。

阿久悠は無軌道な「私の時代」と呼ばれるものに違和感を持っていたそうです。

「正調なしの変調だけで推移していくと、時代そのものがだらしなくなる」
とある種の警告のような発言も残している。

まさに現代は、阿久悠が警告をしていた世の中のような気がします。

そんな私達に「愛せよ」という言葉を何か意味があって未発表詞という形で残したと思います。


話は変わりますが、阿久悠は自分の曲を自分で解説をしています。
これは彼自身の性格もあると思いますが、語りたかったのだと思います。

僕はおそらく、阿久悠は未発表詞達についても解説をした文面をどこかに残しているかのように感じます。

まさに阿久悠は、死人に口なしとはよく言いますが、阿久悠は死人に口ありという言葉が似合うぐらい言葉をたくさん残しています。

そして、阿久悠記念館にて、「愛せよ」の直筆の原稿を目にした時、涙が止まりませんでした。

同時に、圧力のようなものを感じました。

何故か、阿久悠がそこにいるかのように感じられました。

水野良樹も何度もおっしゃっていますが、原稿を前にしたときかなりの圧を感じたということ、これは不思議な体験ですが、たしかに原稿に阿久悠がいるのです。

どういう気持ちで紡いでいった言葉か見ていくと、感動してしまいました。

「時代は常に姿を変えて若い心を試す」

締め付けられるものを感じました。

阿久悠は、何を考えながら「愛せよ」という三枚の原稿を我々に残したのか、何を伝えたかったのか、すごく考えさせられました。

コピーでさえ感じられた、この圧力のような物を水野良樹はこれ以上にすごい圧力に耐え、制作に望んだと思うとすごいことだと実感した。

阿久悠も完成を喜んでいたのではないかな?

そして、彼自身の主催のライブで「愛せよ」を水野良樹が歌った時、僕は水野良樹が僕らにはなく、天国にいる阿久悠自身に問いかけて歌っているように感じた。

まるで師匠を追いかける弟子のように、阿久さん、歌ってますよ、これでいいですか?と言わんばかりに、その瞬間「愛せよ」という曲が阿久悠に届いたような気がしました。


そして、2019年4月。

水野良樹は、HIROBA というプロジェクトを発表した。
そこで書かれた曲が2曲ある。

1曲目は「You」
2曲目は「I」という曲である。

僕はこの「I」を聞いたときにライブで歌った「愛せよ」を思い浮かべました。

雰囲気がライブの「愛せよ」そっくりでした。

そして、どこか阿久悠を意識しているように感じました。

この二曲で出てくる「あなた」「きみ」という言葉は阿久悠のように感じられるので、意識したように感じます。

余談ですが、僕の勝手な推測ですが、この二曲のタイトル「You」は阿久悠の悠、「I」は愛せよの愛だと思っています。

何か阿久悠に向けている言葉のように感じました。


最後になりますが、
音楽の素晴らしいところは、何年経っても、こうして世に出て勝負できることだと思います。

30年の時を経てこうして、世に出た「愛せよ」はまさに今の時代を象徴するような曲のように感じます。

阿久悠が、自分の存在を出しながら現在を生きる僕らに残した「愛せよ」という強い言葉。

だからこそ、時を超えてこうして現代に日の目を浴びた「愛せよ」を、
今を生きるすべての人へ聞いてほしい、届いてほしい、手にとってほしい曲だと思っています。

そして、今、阿久悠が見ることのなかった令和の時代に僕らは生きている。

阿久悠は、令和の時代そして、今のコロナ禍の世の中をみてどう思うのか?どんな言葉を残すのか?すごく気になります。

やがて僕らも阿久悠が愛した時代となる。

今日も阿久悠の歌は聞こえてくる。

まだ阿久悠は死んでいない。

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