犯行時刻に花束を表紙画像リンク等はTextに保存_URL貼ること

 出産とは共犯が必須の犯罪行為だ。
 口に出すと必ず「そうじゃない」と言われる。
 なので、なるべく口に出さない。
「そうじゃない」と、言うひとの言うことは決まっていて。
「無償(むしょう)の愛」「生物として本能」「社会の成立に必要」「神様の授かりもの」「親は子どものためなら死んだっていい」 

 このあたりを意味する言葉の、どれか。
 つまりは、寸借詐欺、脆弱な理性、同調圧力への敗北、責任転嫁の常習、誇大妄想。
 そういったものを動機として、コンドームを捨て。
 終わりの見えない苦しみと、役所への書類を与える犯罪。それが出産。
 この犯罪には、男と女が必ず共犯関係にあり。
 主犯は特定しづらく、また特定したところで意味がない。
 それが僕の考え。僕が考えていること。
 みんながそんな風に考えてるってわけじゃない。
 少なくとも「そうじゃない」と、言うひとは考えていない。
 だって、僕は頭がわるいもの。
 頭がわるいから、経験したことでしか、こういう哲学寄りのことは考えられない。
「そうじゃない」のひとは、経験してないことを想像できるひとか、とてもいい生活をしてきたひとなんだろう。
 だけど、いくら頭がわるくたって。僕は経験したことを消したり変えたりはしていない。
 結論。「そうじゃない」は、僕には、特に僕自身が、言ってはいけない。僕は絶対に「そう」なんだ。
 結論を出して、もう一度失望する。
 男の犯人にまた似てきた。
 今の僕はいい生活を送っていて。ひょっとしたら「そうじゃない」の人より恵まれているのだけれど。
 いい生活の結果。
 僕の容姿は共犯者候補が山ほどいたころの、父親そっくりになってしまった.
 女の犯人は、自身の脳から僕を消すだけではあきたらなかったらしい。
 卵子の気配が、どこにもない。
 やだなあ。
 また洗面台の鏡を見る。
 やだなあ。
 この顔は無償の愛を謳うのに適してる。
 つまり、わるいヤツの顔になっちゃってる。
 無償の愛を謳うのは、出産の上に労基法違反を働くのと同じことだ。
 ううん。違う。出産と労基法違反は必ず一緒にあるものだ。
 無償の愛という目に見えないものをあげるからという条件で。
 つまり賃金と休日ゼロで、両親の「ありがとう」と「ごめんなさい」を全部背負う。そういう労働が無期限で課せられる。
 すってんてんになったら終わり。
 夫婦という共犯関係。
 僕がそれを思い知ったのは、すってんてんになって終わることができたから。
 幸福というものを知ったから。
 僕は今、幸福で。幸福だから。
 幸福を与えてくれたひとを、好きになった。
 この幸福は有償で本能を乗り越えねば死に、ときおりパブリック・エネミーとなり、神様は人類を愛さず、僕は彼女のためなら死んだっていい。
 死んだっていいし、状況によっては死ぬ。
 この幸福は有償だから。
 追加対価の1つは生殖能力。
 彼女も生殖能力がないひと。
 要するに彼女は人類じゃない。人類を超えた存在。比喩じゃなくて。そう。
 共犯者には決してならない。
 僕は罪を犯さない。
 でも、共犯者にならないから好きなんじゃなくて。
 有償だから。
 一例を挙げると、彼女は今、中学生の合唱コンクールをテレビで観ている。
 僕はそういう統一されていない声で、大人数がわめく番組が嫌い。
 特に変声期前の子が際立って大きな声を出すのが嫌い。
 ガラスをキーってひっかく音と同じだもの。
 対して、彼女はそういう番組が好き。
 音楽として楽しむのではなく、子どもの将来性を鑑賞して楽しんでいるって言う。
 特にハーモニーが未完成である理由が、際立って上手い子が際立ちすぎて足を引っ張っているという理由のときが。
 すごく好きなんだって。
 だけど僕が、彼女が好きだからという理由でうるさい番組を好きになろうとしたら、彼女はきっと怒るだろう。
 出演者に対する侮辱だって。
 それよりも僕が好きな再放送の刑事ドラマを観なさいと言うだろう。
 彼女は冒頭で犯人がわかるから、大嫌いなあの番組を。
 彼女は万事その調子。
 犯人たちと正反対。
 彼女は彼女の「ありがとう」と「ごめんなさい」を彼女自身で背負い。
 僕にも僕だけの「ありがとう」とごめんなさい」を背負うことを求めるから。
 すってんてんの僕に、背負うべきものを背負わせてくれるから。
 背負わなくてはいけないものだけを、背負わせてくれるから。
 背負わなくては愛されないから。
 互いに自分の分は自分で背負う。それが最低限に要求されるから。
 有償。
 今の僕は両親の生よりずっとたくさんのものを背負っていて。でも、それは全部全部大事なもの。
 僕が僕であるためのもの。
 彼女にはそういう真実だけを伝えたくて。共犯者にならないからだなんて、思われたくなくて。
 きっと、それは本当に好きなせいじゃないかな。
 僕はあの共犯者たちを決して赦せはしないけれど。犯罪行為であるのは変わらないけれど。
 僕は現在すっってんてんじゃない。
 きっとこれから背負うものが増える。
 だから。今は「そう」だから。
 来年、3月3日AM6時の犯行時刻。
 来年は。来年からは。
 適合する言葉は「おめでとう」でいいんじゃないかなって。
 ほんの少し、思うようになってきた。

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