支え合いの釣り合い
こんにちは、ありすです。
今日のも鬱系の書き散らしです。
落ち込んでいる人を見たい方は読み進めてください。
冬の朝の光
入院してから朝が本当にしんどくて、死にたくて仕方なくなっていて、退院してもそれが続いています。
我が家は雨戸なので、その雨戸の隙間から朝日がこぼれだすと
「ああ、また今日がきてしまった」
と小さい頃から思ったものです。
僕の自論の1つに
幸せは不幸せを見ないこと
というものがあります。
入院前まではそれが上手くできており、あまり死ぬことを考えないようになっていました。
ですが、入院して色々と検査や聞き取りをしていくうちに自分の異常性を指摘され、辛さが増していき、自傷をしたり希死念慮が増したりしました。
(入院のnoteもあるのでぜひ)
退院してからは自傷はしていないですが、ずっと死にたくて仕方なくて、以前はできていた"不幸せを見ないこと"ができなくなっています。
「自分の不幸せを受け入れて乗り越えろ!」
という人もいるかもしれません。
僕もそうしたかった、受け入れたつもりでいた
死ねないのだから、死ななくても申し訳なくないような生き方をしようとして、障害年金の申請も福祉サービスの利用も全部全部自分でやりました。
服薬管理もアプリを活用したり、体調記録も続けやすいようにリマインダー使ったり、頑張ってきました。
そうやって
"死ねない不幸せな自分"
を
"死ねないけど頑張っている自分"
に置き換えられるようにしてきたはずだったのです。
でも、複数の医者や友人、心理検査を通じて
「お前のあらゆるところが異常」
と言われてしまって、今までの頑張りが無駄だったように思えてしまって
自分の不幸せを受け入れたつもりが、
そもそもの生い立ちや環境、記憶のなさや希死念慮の始まりまで
全てがおかしいと言われてしまったら、私はどこまで不幸せを受け入れればいいかわからなくなってしまった
廃棄のパンがご飯なのはおかしい
学校の制服や道具がほぼ全部お下がりなのはおかしい
机や椅子が贅沢品なのはおかしい
親に死ねと言われることも、それを見て見ぬふりをする親もおかしい
親が高所得者なのに靴下の穴を自分で塞いで履き続けるのもおかしい
私はそんなに不幸せじゃないよ、パンは期限切れてもおいしいし、机や椅子がなくても勉強できるよ、直す癖で裁縫もある程度できるようになったよ
そんな、私の人生を不幸せって言わないで
辛かったけど、覚えてないけど、きっとここまで生きてきたってことは幸せもあったから
覚えてはいないけど、そう思わないと進めないから
と、少しメンタルぶっ壊れです。
介助者の兄も同じ境遇なので、2人して悲しいねってなったりしました。
巷のレポ漫画では「理解のある彼くん」とやらがいるそうですが、そんな脆いものに依存したくないのが僕です。
兄は確かに理解もありますし、頼りにしています。
ですが、彼の人生を僕で縛りたくないです。
兄は賢くて優秀で、危ういところもありますが優しさに溢れる人です。
本当に感謝しきれないですし、身近な尊敬する人といえば兄を挙げます。
兄は僕を支えてくれていますが、それが過度にならないように気をつけていきたいです。
兄がやりたいことを続けられるように、身近な人として僕にできることがあればなんでもする気持ちでいます。
兄まで僕のようになってほしくないのです。
兄は兄のやりたい、進みたい道を選んでほしい
僕がその足枷になりたくない、できれば支えたい
なんやかんや言いましたが
僕って十分幸せだと思っていたら実は幸せじゃなかったと指摘されてメンタルぶっ壊れ
兄が僕を支えてくれているように、僕も兄がやりたいことをサポートするぞ!
という話でした。
知らなくてよかったもの知っても時間は進むので、見ないふりして進もうと思います。
ではまた〜