【旅日記③】私のなかの出雲、出雲のなかのわたし 〜六所神社・真名井神社・熊野大社〜
出雲3日目、冬至。昨夜から雨がぱらついて、朝まで続いた。雨の中、車を走らせる。寒い。エンジンが冷え切っていてなかなか暖房が効かない。ナビを見ると、予定到着地まであと20分程度。着く頃にやっとあったまるかな。
今日の目的地は、六所神社と、真名井神社。これらは松江付近にある「意宇六社」に数えられるそうで、出雲国造ゆかりの神社にあたるらしく、まだ行ったことのない二社でもあった。ちなみに、意宇六社の顔ぶれは、
熊野大社、八重垣神社、神魂神社、揖夜神社、真名井神社、六所神社。(佐太神社は入ってない)
玉造温泉を出る頃には雨が降っていて、雲はどんよりしていた。なのに目的地の六所神社に向かって、田園風景が広がるのをぼんやり見ているうちに、不思議と空の一角が晴れていくのが見えた。
とても不思議な空だった。まるで雲に切れ目が入ったみたいに青空の筋がのぞいて、それがみるみる広がっていく。私は、もしかしてあの空の下あたりに神社があるのかなあと思った。ら、
本当にそうだった笑。車を降りるとぱらっと晴れている。
六所神社
六所神社は、かつて出雲総社(ここにお参りすれば全部お参りしたことになる的な場所)だったらしく、付近に古墳や遺跡が多い。森の背後には、律令時代に出雲国府もあったそうで、今で言えば県庁所在地、都の中心地、みたいなところなのかな。
社殿に入るやいなや、「すごく気持ちがいい」と思った。途端に日がさして、参拝中は背中を温められた感じがあった。目を閉じると、まるで走馬灯のように、出雲の歴史みたいなものが浮かんでは消えていった。それは律令時代よりもっとずっと古くて、大きな湖と森の中を、原始の人々が暮らしている様子だった。
思うに、西出雲は渡来人が開拓して行った土地、という気がする。一方で、ここ東出雲はこの土地から生まれた人々が守ってきた場所、という感じ。けれどどちらも古くは海や湖、つまり「水」にとても古いルーツがあるように思う。
そして西出雲では大国主が、東出雲ではスサノオが大切にされてきたような感じ。同時に、西と東には、友好的とも複雑とも取れる様々な感情が絡み合ってきたのかな、と、これまで遺跡などを巡りながら思った。
それは出雲大社の作りにも表れているように感じる。なぜなら出雲大社の本殿では、大国主はなぜか西を向いて鎮座している。ここで小泉八雲(ラフカディオハーン)の記述を抜粋すると、
つまり、南から参拝するわたしたちから見たときに、どちらも横向きに鎮座している、ということになる(※ただ出雲大社HPで調べると、本殿内には御客座五神が南を向いている画像が掲載されている。いずれにせよ妙な謎)。
いずれにせよ、私はいつも、南側から手を合わせるたび、自ずと本殿を貫いて素鷲社(スサノオ)に向かってお参りしているような感覚になる。出雲大社は言わずもがな、東出雲に本拠のあった出雲国造家・千家家と北島家がお守りされてきた神域。それで余計に、東出雲=スサノオらぶ!なイメージが私の中にあるのかな。
いつだったか、出雲神楽に関する著作の中で、「八岐大蛇は、本当はスサノオなんです」という地元の方の記述があったのをふと思い出す。私はなぜかそれを読んでとても胸が切なくなり、泣いてしまった。出雲には、底知れぬスサノオへの愛を感じる。
だからこそ、古事記に記述されているスサノオの乱暴粗雑な描写に対して、
本当にそうだったのかなあ?
という疑問も結構湧いてくる。し、やはり神話や伝説を丸呑みするより、実際に現地に足を運んで、湧き上がってくるイメージを大事にしたいな、と改めて出雲で思った。きっと人それぞれに感じ方も違うはずだから。なので私は、本来、神話とは、人の数だけ存在するストーリーだと思ってる。なぜなら本当の神話はDNAや魂に刻まれた記憶だと思うから。
だから私は、ふとした参拝や遺跡にじかに立って感じたイメージ、何気なく開いた書物の中で、思いがけず心を揺さぶられ、涙するんだと思う。わけもなく泣けるのは、私の中の神話が開いている証拠、だから。
カッコつけてたら話が脱線しちゃった。笑
真名井神社
さて、六所神社を後にすると、再び空はどんより曇って、車に乗った途端に雨が降ってきた。雨は真名井神社についてもやまなかった。私は、境内まで伸びる長ーい石段にOH…とため息をつきながら(神魂も長いよねえ)、滑らないように、ゆっくりゆっくり上がる。
幸い、拝殿がオープンエア式になっていて、広い屋根のおかげで雨に打たれずに参拝ができた。妙に気になったのは、神紋の文字。なぜだか一文字で、「有」と書いてある。後で調べたら「神在」の有、また神存月の「月→有」との説があるらしい。だけどどちらも説得力に欠ける気がした。個人的には、もうシンプルに
「ここに有る」
ということかなあと感じた。
それはどういうことかというと、何か、「ここに有る」と強調する必要性がある、からではないかと。
出雲はかつて、中心地だった?
思うに私は、出雲には本当に大きな国があって、かつてはここが首都、みたいな時代があったように思う。そして、神様たちの世界では今でもここが中心で、だから「神在祭」があるのかなあなんて思う。
だけど、一応今では日本の中心は東京なわけで、京都だった時代もあれば、奈良盆地を右往左往した時代もある。きっと、出雲以外にもたくさんの中心地があった時代だってあるんじゃないか。
でも出雲にとっては、「ここに有る」としっかり強調せざるを得ないくらい、「不本意ながらここから無くなった」という感覚、何かトラウマになるような事情があったのかも知れない。
だから、「ここに有る」なのかな。
なぜだか真名井神社では、始終そういうことを考えていた。
熊野大社
4日目の朝、私は思い立って、帰りがてら熊野大社へ立ち寄った。境内ではもう正月支度が始まっていて、紅白幕が張り巡らされていた。参拝後は、近くに地元の野菜が売っている土産屋があって、そこで大根や里芋などを買った。
再び車に乗り込んだときだったと思う。なぜだかふっと、こんなことを思った。
出雲が中心地(首都)じゃなくなったからこそ、守られたものがある。
思えば、都には戦いがつきものだ。京都は人が死んでいない場所なんてない、というくらいだし、東京は戦時中にほぼ焼け野原になった。人間が決める中心地には、必ず争いが起こる。その分だけ、土地や人は無傷ではいられない。
一方で、熊野大社のあたりの、この清々しさはどうだろう。山の澄んだ匂いがする。誰が見ても穏やかで、豊かで、まるで少女みたいに清純な土地の気が、ミルフィーユみたいに丁寧に折り重なっている。
そうして、守り続けられた純粋さが、出雲にはあるように思う。
なぜなら出雲にくると、自ずと私は、すべての中心が自分の中にあるのをひしと感じることができるから。
それは、土地の純粋さによって思い起こされる、自分のなかの神様との対話、みたいなものなのかも知れない。同時にこれこそが、これからの時代の中心的価値になっていくと、私は考える。
出雲から開いていくものは、きっと、一人一人の内側から開いていく中心。そんなことを漠と感じ、ますます出雲を好きになり、きっとまだまだ見えていないものもたくさんあるだろうな、と宿題を感じた、出雲滞在でした。
終わりっ⭐︎ 読んでくれてありがとうございました!
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