羨望鏡
(羨望の眼差しを向けるのは苦しいものだ。眼差しを向ける相手が自分よりも優れていると認めていることになるからだ。つまり、自分という存在が劣っていると認めることになるからだ。羨望とは、人類の争いのあらゆる諸因ではないか。)
暗いなあ
潜水艦は狭いなあ
浮かぶのは嫌だ。でもこのまま沈むのは嫌だ
浮上しよう
よし、潜望鏡で様子を確認しよう
おや、これは家族か。温かな料理を囲んで穏やかな笑顔だな
羨ましいな
私は随分遠ざかっている
見たところ材料は安っぽいな。貧乏な家庭なのだろう
妻は元気だろうか。彼女は私を待っているのだろうか
少し別のものを見てみるか
これは華やかなホテルの大広間かな。煌びやかなドレスを着ている人々の群衆か
荘厳なシャンデリアに豪勢な料理。先ほどの料理とは違って高級な趣味だ
羨ましいな
少し見渡せば、大陸みたいな自動車が見える。金の延べ棒みたいな最新の携帯は、平和な社会を生きる通行手形か
金は幸せを作るってもんさ。金がないやつは、「金で幸せは買えない」と言いたがる
生きがいとか夢で腹は満たされない
次のものを見てみるか
おや、子どもが泣いている
デパートの地べたに座って駄々をこねているのか。欲しいおもちゃでもあったかな
羨ましい
駄々をこねることができるなんて
おもちゃもなければ泣ける平和もなかった私に比べて、あの子は幸せな子だ
君が泣ける世界を作れたことは私の誇りと言えるのかもしれん
ここは病室か
いや、病院ではないな。寝たきりの女性がいる。ベット脇にはネクタイ姿の男がいる
注射をしたな
女の脈拍がみるみる弱まっていく。これが安楽死というものか
男が出ていく。手際がいいな。慣れている
羨ましいな
あの人は眠るように死んでいった
この辛く暗く一部のものしか幸せに慣れぬ世界からするりと抜けて、匡mしいは雲の隙間から空に登っていく
ああ、やっぱり見るんじゃなかった
もう一度海の底に沈むことにしよう
次に私が浮上する時、私は何に羨望の眼差しを向けるだろう
その眼差しを向けなくていい世界になったなら、私は潜水艦を後にしよう
そんな日が来ることが私の願いだ
まわりまわって、世の中が幸せになる使い方をします。