考えを根に例える
良いニュースを見ました。
ワクチンできたみたいね。
早く満員のプロ野球や国技館が見たいなあと思いつつ、コロナで世界が北斗の拳みたいになってほしいなって思っていたのがかなわないという虚しさを感じてしまった。
最近、少しメタ認知できたのが自分の考えがあっち行ったりこっち行ったりしてんなということ。
一定して同じことを考えているのは1分もないなと。
浮かんでは消えていく考え事があまりにも面白いので、これをここに整理してみよう!
1.‘‘思考‘‘の根
頭の中の‘‘思考‘‘の形をイメージしたことはありますか?
頭の中で考え事をしているとき、それは言葉の形をしているのか画像のようになっているのか。
頭の中で考えていることを絵にかいてみたときに、そのイメージがもし人類みな同じ形だとしたらすごいことだ。
仕事中にそんなことを考えていてはいけないのだが、考えがあっちこっちに行ってしまうのが困るのだ。
何でこんな感じの考えになっているのだろうと考えていて、ふとイメージがわいてきた。
木の根っこ。
枝分かれしながら深いほうへ深いほうへと延びていく根っこのように考え事が広がっていく。
枝じゃないのだ。
上のほうへと知識は伸びていかない。明るい世界に考えは広がっていかない。
その根っこの群生の中に僕という主体は一人しか存在できない。
だからちょくちょく自分が何を考えていたのかを忘れるのだ!
2.ちょっと詳しく
これはどういった現象なのか。
考え事をする機会は人それぞれで、多い少ない、深い浅いもあるだろう。
そのように考えている今も、僕は「書道したいな」とか「考えていた物語の続き考えなくちゃ」とか、「そういえば3年後仕事何にしようかな」みたいにどんどん‘‘思考‘‘の根っこが伸びている。
5分前に考えていた根っこの先端は、もう完全に見失い今となってはどうでもいいことになっている。
ちょっと困るときもあるということもできなくもなくないようで、その実ちょっと困る。
3.意義
ここで僕が明らかにしたのは、考え事はいくつもあれど考える主体は一つしかいない、ということだ。
だから何だと僕も思ったのだが、これはある意味すごい発見だとも思った。
退屈で暇であることから得たこの発見をまだ人類はしていまい!
生まれたときから今の今まで人は物事を考えた時間だけ根っこを伸ばしていくのだ。深く深く根っこを伸ばしていく。しかし、伸ばせば伸ばすほど見失った際に見つけにくくなってしまうというわけだ。
考え事の先端を。
そして、現代社会でうまくやっていく人は根っこが絡まっていないシンプルな根を持っていると生きていきやすいものだ。
そういったことを考えているところで、僕は「アナグラムをやってみたいな」ととりとめもないことを考え始めているのだ。
根っこの先端は見失いやすいというわけだ。
4.
何でこんな考え事を僕はしているんだろう。
何も生み出さない時間を過ごしている。しいて言うならアマゾンプライムでいつの間にかトリックが配信されていることがうれしいのと、今日Youtubeでウルトラマンの配信が行われるのが楽しみということ。
明日バッティングセンターに行くのが楽しみだなということ。
あと面白い物語の種を思いついたのでそれを膨らませたいということだ。
早く完成させられるように頑張ろう。
コメダ珈琲は居心地良いな。
まわりまわって、世の中が幸せになる使い方をします。