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せつない

 雨の日は大学に行かなかった。一日中家から出ず、ゲームをしたり、漫画を読んだり、やけに長い映画を観て過ごしていた。物の少ない部屋の中に時間だけが無限にあった。終いには映画を内容ではなく、上映時間の長さで選んでいた。母から、やたらとパスタと缶詰が送られてくるので、買い物に行く必要もない。母の気遣いとは裏腹に、息子はますます不健康になっていく。画面が暗転するタイミングでモニターに映る自分の姿を見ないように目線を外す。窓の外、マス目状のレトロな学生街はいつもより少しだけ静かだった。
 三時間の映画を観終わると雨音は消えていた。薄くなった灰色の雲に少しだけ茜がさしている。冷蔵庫を開ける。牛乳と使いかけのベーコン、芽が出た玉ねぎがごろんと転がっている。シンクの横に積み上げているトマト缶を一つ取り、半分を熱したフライパンに出す。残りはラップをして、すかすかの冷蔵庫に入れておく。スパゲッティーの束を解く。湯が沸くのをじっと待つ。まるで、パスタを作るためだけのキッチンだ。
 社会人として旅立った先輩は新しい街に着いた頃だろうか。三月の札幌はまだ少し雪が残っていて、東京生まれの私には、まだ別れの季節である現実感がなかった。玉ねぎを半分に切る音が響く。この部屋の壁もストンと切れてしまいそうだ。 
 実家で母が料理をしていると、いつも犬が足元にきて、おこぼれを狙っていた。犬が食べられない玉ねぎを切る時、母は私を呼び出して「捕まえていて」と命じる。玉ねぎの微粒子で満ちたキッチンで、犬と私、お互いの気晴らしにしばし戯れる。元来、学校の友人より犬と遊んでいることが好きだった。犬のいないキッチンに私が立つ意味は、ただ生きるためだ。
 昨日も雨が降っていたから、映画研究会の先輩たちの卒業祝いの飲み会をすっぽかした。夜中、長い映画のクライマックスに差しかかった頃、研究会で唯一尊敬している先輩に呼び出された。やけに硬い、業務連絡のような文面のメッセージが、ぼんやりと光るスマホの画面に浮かんでいた。「了解しました」と返信すると一瞬で「早く」と返ってきた。普段やりとりも多くないので少し怖い。馴染みの餃子屋の前で待っていると「中にいます」とメッセージが届いた。最後の最後で先輩達に怒られるとは、我ながらなんて情けない後輩だろう。意を決して店を覗く。
 先輩は白い顔で一人、メニュー表を睨んでいた。
 その日、飲み過ぎて、何を話したかはあまり覚えていない。先輩の就職先のこと、東京の交通事情、実家の犬の胴の長さ、餃子がやけに旨いこと、スパゲッティーの最適な茹で時間、先輩の過激な恋愛事情等についてダラダラと話をしていた気がするが、二人でいると、最後はどうせ映画の話に落ち着く。次に作る作品について話す私に先輩がダメ出しをする。いつも通りの日のはずなのに、「先輩のいない大学に意味はない」と口走ってしまったことは鮮明に覚えている。自分の愚かさと、先輩の「あ」という声の切なさをかき消すように、あの日の私は架空の物語を語り続けた。

 ◯

 空港に向かう車窓から見える街並みに何故か懐かしさを感じた。私が生まれる前からずっと、この街の景色は少しずつ変わり続けているはずなのに。街の表面を覆う地層を雨が剥がして、子ども頃の澄んだ目で見たコンクリートの色彩が蘇る。新しい日々が近づく期待と社会人になる不安が、窓を叩く雨音で顕在化される。これまでの情けない思い出が洗い流され、自分という個性が全て無くなってしまうように錯覚する。天気予報を確認すると、東京は晴れているようだ。家族から旅立つ娘への激励のメッセージが届いているが、向こうに着くまで一旦置いておこう。サークルの後輩とのやりとりが目に入り、心がざわつく。
「すぐ集合」「餃子です」
 後輩の律儀な返信のせいもあり、私のメッセージはまるで業務命令のようだ。あの日以降、彼とは特に話していない。記憶が少しあやふやな部分もあるが、何で映画が好きなのかと訊かれ、答えに窮したことははっきりと覚えている。映画研究会に四年もいたのに、その日まで考えたことがなかった。
 空港に着いてすぐに搭乗の手続きを済ませる。何気ないことだけれど、もうすっかり大人になったことを実感する。搭乗口の近くで待っていると、家族から無限のメッセージの通知でスマホの画面が埋まり、少し憂鬱になる。
 小さい頃は一日中絵を描いてばかりいて、自分の世界にいる時間が好きだった。家族旅行で飛行機に乗っている時も、ホテルに着いてからも、ずっとノートに落書きをしていた。大きくなるにつれて、時間を見つけては映画を観るようになった。一つの世界を映画を通じて誰かと共有できる。そんな教科書に書いてある夢みたいなことを本気で考えていた。例えば、歴史的な事件を起こした犯人の動機が、例えば、ちっぽけな生き物の小さな勇気が、その大小に関係なく、観ている者の感情を震わせる。ノートに描き溜めた私の感情も、もしかしたら誰かに届くかもしれない。
 大学生の習性なのか、私の周りには同じような思考をした人間が集まってきた。同じキャンパスに通い、同じ学部、同じサークルの仲間と一つの知識を共有して、世界を知った気になっていた。最初のうちは、映画が好きだと感じていた訳ではなかった気がする。
 しばらくして、一人の後輩が雨の日に大学に来ていないことを知り、私は衝撃を受けた。雨が降っている間は部屋から出ないという、まるで虫のような習性を全く理解できなかったから。一方で、その気持ちをとても自然なことだと思う自分もいた。自分の世界の範疇にない人間に、共鳴する心があることを知って、私は初めて他人に興味を持った。
 飛行機は間も無く飛び立つ。雨が止む様子はない。殻に籠っているだろう後輩へ、最後のメッセージを打とうとした時に、ちょうど搭乗開始のアナウンスがあり、少し笑ってしまった。あの日、寝落ちするまで二人で語り明かした後に、小さな画面に収まる言葉で、どうやって今の気持ちを表現しようというのだろうか。私は今日、この街を去る。あの日、後輩を呼び出した短い言葉に秘めた感情は、餃子と共にビールでお腹に流し込んだのだから。

 ◯

 雨が降っていたから、ついに自分の卒業祝いの飲み会すらすっぽかしてしまった。
 引越しの準備もサボり、先輩が卒業の時に作った、やけに長い映画を今日も観る。
 あの日から二年間、雨が降る度に数えきれないほど見返した。
 コメディでもなく、シリアスでもなく、大学生らしい恋愛要素もない。
 ただ画面の中で、主人公の二人が延々と語り合うリズムが心地よかった。
 最後の暗転のタイミングで、ぼんやりとスマホの画面が光る。

「すぐ集合」

 一瞬、信じられなかった。

「餃子です」

 雨垂れのようにメッセージが浮かぶ。

「了解しました」

 部屋着のまま家を出る。

「早く」

 店の前に着いてから、自分のひどい身なりに後悔した。

「中にいます」

 先輩は白い顔で一人、メニュー表を睨んでいた。

(doodles vol.2【おもいでのつづき】より「せつない」)

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