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21歳。

21歳になった。

実に中途半端だ。
歳を重ねるごとになにかを書いていて
18歳、桃栗三年柿八年柚子の大馬鹿18年
19歳、可惜夜
20歳、成人短歌

さて、21歳なにを書こう。
これを書いているのは6月26日。
ドラマ「だが、情熱はある。」最終回を見終えた深夜1時。

いやあ、いいドラマだった、
若林、山里さんに共感の嵐だった。

先週11話は若林さんのメイン回で、
祖母、父、お世話になった先輩の谷勝さんが亡くなる。いや、1話で3人も…号泣した

その中でこれは若林さんのエッセイのあとがきにあるが

誰と会ったか、と、誰と合ったか。
もうほとんど人生は、合う人に会うってことでいいんじゃないかと思った。
誰とでも合う自分じゃないから、合った人に会えるようにがんばる

この言葉がものすごく響いた。

幼稚園、小学校、中学校、高校と自分の居場所が分からなかった。話しかけてくれる人がいて、いじめをうけていたわけでもない。

クラスで2人1組になってください。もしくは、グループをつくってください。

この指示は苦痛でしかなかった。どんどん周りがグループを作っているのをみてどこにいけばいいのか分からず、最後まで決まらなかったこともある。

1人でいる時間も必要なタイプだけど、人が嫌いなわけじゃないし話すのも好きでただただ、分からなかった。どうしたら、友達を作れるのか友達になれるのか。私は周りと比べると勉強も運動もできないし、取り柄もない。

自分の居場所はどこなのだろう。
周りに合わせようとしたこともあったが、
周りが求めていること・期待に
私の合わせようとしていることがズレているな
そう感じることが多々あって、慣れないことをしている自分に疲れてしまったり、自己嫌悪が強くなる。

そんな中でも、私を理解しようとしてくれる人達に出逢えて凄く嬉しかったし救われた。

高校生の時に、自分が躁鬱なんだと分かり
治療していく中でも、気分の上がり下がりが酷くて高校で学校がやっと好きになれたのに、行きたいのに行けない、心と体のバランスがとれないを繰り返し、自分が嫌いになって周りも傷つけて迷惑をたくさんかけた。それでも、置いていかないで待ってくれて心配してくれる人がいて頑張ろうと思えた。

この記事を書きながら、高校の社会科の先生に卒業前、突然言われた言葉を思い出した。

「〇〇さんはどこに行ってもみんなに好かれるよ、性格を変えなくても十分にいい性格だから変わらないでね、わかってくれる人は沢山いるから」

きっと先生は分かってたんだろう。
私は誰とでも合うような人じゃないし
合わせることが苦手なことも。

このエッセイのあとがきには続きがある。

「“合う人に会う” ことと “合わない奴に会わなくても済む”ようになるには相当タフなサバイバルを生き続けなくてはならないのも事実だ 」

21年間で合う人に会えてる。
人に恵まれすぎている人生だと思う。

それでも合わない人にもあっていて
身近だと母親とか

ほかにも中学校3年生の時、不登校になって
きっと不登校になったのは部活を引退し燃え尽きてしまったのもあると思うし、自分の居場所のなさが辛かった。

行きたい通信制高校を担任に提案しても
副担任からは、お前はまだ中学3年1学期まで通えてたんだから公立か私立に行けるだろと否定をされ、否定される辛さを知った。

担任からは復帰できるよう席を配慮され
あの時は大人は全員敵だと思っていたから
反抗もして、担任はそんな私の対応の仕方が分からず親友に泣きながら相談していたらしい。
親友からは高校卒業前にこの話を打ち明けられた。親友にも沢山迷惑かけたな。

中学卒業後、全日制高校に進学するが自分の居場所はそこでも分からず、図書室が5階と屋上近くにあってそこの窓や廊下を歩き、毎日死ねないかなとばかり考えていた。死ねずに自室に引きこもり、社会の自分の居場所のなさが辛く、休学を1年して中学生の時提案した、通信制高校に転入する。

これからもタフなサバイバルをしながら
慣れない社会を生きていこう。

ゼロが消え
私いっこの歳をとり
カウントアップ
用意スタート

21歳おめでとう自分。

ゆずは

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