私の中の追憶
真夜中の高速道路、お盆の帰省ラッシュ
カーナビから流れてくる渋滞の情報
毎年のこと
『右側のさ、この小さな数字何か知ってる?』
この父のクイズも何回目だろうか、
「東京からの距離だっけ?」
『そう、今は数字が増えていくけど帰りは減っていくんだよ。これが609になったら高速降りるからね』
まだ、右側は500と少し左側には黄色く鹿の標識。
あの頃は、帰省になにも怖さなんてものはなかったはずだ。
行けば祖父母にいとこ、親戚らが集まって
お盆が終わる頃には祭りがあり
東京では標準語を頑張って使おうとしている父だって東北の訛りになっていて
この村は全てが美しかった。
人も土地も空気も言葉も雰囲気も何もかもが、だからこそ、それらが朽ちていくのがきっと怖くて、私は遠ざけた
埃かぶった家、何年ここに帰ってなかったのだろう
左斜めにあった自動車屋のカレンダー
2002年のまま、土日祝は赤や青字で元々印刷されているが
「7月19日」
その1日だけ大きく丸がついていて味気ないカレンダーにはよく目立つ
20年の時を経て少し薄くなってはいるが
2002年7月19日
私が産まれた日
20年間この壁に貼ってあった。
居間に置いてある、日めくりカレンダーも
2017年8月20日のまま
幼稚園生の時から帰省の時に日めくりカレンダーをめくるのは私の役目で中学3年生の夏
私がこの村を遠ざけた日のまま
何故死というものは怖くないのに
美しいものが朽ちていくのはこんなにも恐ろしいことなのだろうか
目を閉じて耳を塞いでも流れてくるのは
この村の綺麗なものでしかなくて
「ゆじはー、こっこの餌やりにいくすけついてこーい」
朝6時、階段下から聞こえる祖父の声
私の名はゆずはなのに
「ゆずは、おらはナニャドヤラさ踊るからみてな」
この村にはナニャドヤラという伝統的な祭りがあって山車や屋台そして、踊りと忙しい
小さい頃は山車ひいてたな、家の外から子供たちが
「いっちゃいっちゃいっちゃなー」とかけ声が聞こえてくる
触れていないのに感じる人の温かさ
満員電車に押しつぶされてホームには人が溢れここに東京に、温かさはあるのだろうか
疑う自分がいて
人も土地も空気も言葉も雰囲気も何もかもこの大好きな場所で変わるものも変わらないものも朽ちるものを全てを恐れずに受け入れて生きていきたい
私の大好きなふるさとなのだから