孝行とは?
『論語』為政篇7章は、こんな話である。
子游が孝行についてたずねた。先生は言われた。「今どきの親孝行は、扶養することをいう。(しかし、人は)犬🐕️や馬🐎でも食糧を与えて養っている。敬愛する気持ちがなけれざ、どうして両者(親と犬馬)を区別できようか」。
孝は単に親を物質的に扶養することではなく、敬愛の情が不可欠だという孔子の言葉は、あたたかみにあふれている。それにしても、孔子が生きた、今を去ること二千五百年も昔、「今どきの親孝行」がすでに物質化していたかと思うと、うたた感慨深い。
(『完訳論語』井波律子 より)。
『孔子家語』因誓篇にも、こんな話がある。
子路が孔子に尋ねた。「こういう人がいるのです。朝夕早くから起き出し、夜遅くなって床に就き、畑を耕したり雑草取りをしたり、作物の植え付けをしたりで、手足は豆だらけになって親の世話をしているのです。それなのに、孝行者と呼ばれないのはなぜでしょうか」。孔子はこう答えた。「相手を敬う気持ちが態度に表れていないのではないだろうか。不愉快な表情をしているのではないだろうか」(後略)。
どうやら、孔子はただ親を扶養するだけでなく、相手を敬っていなければ、本当に孝行者とは見なしていなかったのかも知れない。
そこで、ふと思ったのだが、昨今の祖父母を「じいじ、ばあば」と呼ぶ風習は如何なものだろうかと、古い人間の熊吉は考えてしまうのである。(昔の)下男下女ではあるまいし、親や祖父母もそう呼ばせているのも、何だかなあ…と嘆かざるをえない。あくまでも、個人の感想です。と、サプリのCMみたいな断りを入れておこう😅。
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