カンチュウ
今は、寒中❄️☃️(小寒から立春の手前まで)。なので、『論語』憲問篇の、管仲に関する子路と孔子の問答を😁。
子路曰く、桓公 公子糾(きゅう)を殺す。召忽(しょうこつ)之れに死す。管仲死せず。曰く、未だ仁ならざるか。子曰く、桓公 諸侯を九合し、兵車を以てせず。管仲の力也。其の仁に如(し)かんや。其の仁に如かんや。
子路が言った。「桓公が公子糾を殺したとき、(補佐役の)召忽は殉死しましたが、管仲は死にませんでした。仁とは言えないのではないでしょうか。」
先生は言われた。「桓公は諸侯を集めるのに、武力を用いなかった。これは管仲の力だ。誰が彼の仁徳に及ぼうか、彼の仁徳に及ぼうか」。
紀元前685年、斉の襄公が殺され、弟の小白(後の桓公)と、糾が君主の座を争って、小白が勝った。この時、守り役の召忽は殉死したのに、同じ家臣の管仲は降ったばかりでなく、桓公の宰相に昇進した。
だから、子路(と、次章で同じく管仲の態度を疑問視した子貢)は、管仲は非仁ではないかと、孔子に質問した。
これに対して孔子は、政治家という面から見た管仲を肯定している。が、人間という面から見た場合は、否定もしている(八佾篇22章)。
それにしても、『論語』の中身をネタとか言っちゃイカンかな?😁😅。そろそろ『論語』も(やりやすいところは)やった感があるので、如何ともしがたい……なんてね😸。
🐻