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読書週間スタート!

 今日から読書週間。なので今日は「読書の日」なんだそう。
 
 そこで?『論語』学而篇からこの一章を。

若者がうなずいたのは子路が後ろに居たから!?😁

 孔子が「弟子(ていし)」の心得を述べています。弟や子ですから、「若い者たち」のことですが、もう一つ「孔子の塾の生徒」の意味にもなります。たいていの注釈書には、ここにいう弟子は一般に若者を指す、とわざわざことわっているのです。
 なぜ孔子塾の生徒ではいけないのでしょうか?「余力があれば文を学べ」というアドバイスは、孔子が塾の生徒に言いそうにないからです。文(ぶん)とは『詩経』をはじめとする古典で、孔子塾ではそれを教えています。それを習いに来た人に、余力があれば、というのはたしかにおかしいでしょう。
 それで弟子ということばが、たんに若い衆であると推測できるのです。そして孔子が人をみて説くという『論語』の原則の実例がここにあらわれています。
 とくに孔子の弟子(でし)であることを言いたいときは「門弟子」と称したようです。
 若い人たちの基本的な心得として、家では親に孝、家の外では年長者に従順、言行を謹んでひろく交際して、人格者に親しむことが大切で、それができたら文を 学びなさいというのです。
 何人かの若者が集まっているところへ、孔子が通りかかりました。そのなかには、孔子の塾に通っている者はいません。杖をとめて、孔子は彼らに話しかけます。「弟子よ」と。そんな風景を想像してみましょう。
 なお年長者に従順なことを「悌」といいますが、『論語』が出来たころは、まだこの字はつくられていなかったので、原文はすべて「弟」としています。
(『論語抄』陳舜臣 中公文庫 より)

 今なら紙の本📚️で軽量化されているけど、孔子の時代は、見出し画像のように木簡だから、同じ内容量でも膨大なボリュームだっただろうなぁ😅。読書📚も一苦労だね😁。

           🐻

 

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