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雪擁藍関馬不前
今回は、『中国名詩鑑賞辞典』から、中唐の韓愈の詩を。
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左遷至藍関示姪孫湘
(左遷せられて藍関に至り姪孫の湘に示す)
一通の上奏文をば朝、九重の奥深いあたりへ奉ったところ、
その日の夕方には早くも、八千里も遠い潮州の刺史に左遷される身となった。
聖明な天子さまのために、弊害を除去しようと思ったまでで、
どうして老いさらばえた身で、余命など惜しもう。
(見渡せば)雪雲は、秦嶺山脈のあたりに低くたれこめ、長安のわが家はどの辺りか見当もつかない。
折からの雪は藍関の関所を埋め尽くして、わが乗る馬🐎も進みかねるほど
そなたが、はるばる来たからには、定めし深く心に期するところあってのことだとよくわかる。
では一つたのむぞ、私に万が一のことがあったら、あの瘴気の立ちのぼる韓江のほとりで、私の骨💀を拾ってくれよ。
作者の韓愈は、剛直な性格で、しばしば上奏文を出して左遷させられていたらしい。
この詩は、819年に憲宗が宮中に仏骨を迎えようとした時、儒者の観点から反対した時に左遷させられた時の事らしい。
しょっちゅう左遷させられた韓愈としては、見出し画像みたいなギャグでもいいから言ってもらいたかっただろうね😁。
🐻