山🏔の日
今日は山🏔の日なので、『論語』の中から、山🏔に関係する話を。
八佾(はちいつ)篇の6章め。
季氏が泰山で山神を祀った。先生は冉有(ぜんゆう)に向かって言われた。「お前、何とか出来なかったのか」。(冉有は)答えて言った「出来ませんでした」。
先生は言われた。「嗚呼、お前は、泰山の神を、あの礼の根本を聞いた林放に及ばないと思っているのか」。
林放は、この章の二章前に、孔子に礼の根本について尋ねた人。
「いい質問ですねー!」と、池上彰さん風に言ったかどうか分からないけど😁、『礼は、飾り立てるより、質素に、ひたすら哀悼さかたほうがいい」と答えたので、葬儀についての礼だったのかも知れない。
さて、泰山の旅についての章に戻るが、冉有は消極的なところを孔子にいつも叱られているので、大人しいタイブだったのだろう。
同じ「政事」の人と並び称される子路は、逆に積極的過ぎ😁。
『犯す』は、この場合逆らう事。
剛直な子路に、こんなアドバイスしたら、火に油を注ぐようなもの?!
実際、子路が死んだのは、クーデターを起こしたヤツを止めようとしたから。
アドバイスも、時と場合(と人)による…って事かな?
🐻