母の日の準備はできたか

家にずっといるのが辛いという人は、専業主婦・主夫のすごさを感じるチャンスなのではないか。

一人暮らしを始めたものは、みな母親のありがたみを感じるという。毎日、食事が当たり前のように出てきて、掃除も洗濯も常日頃からなされている。そのすごさは実家から離れて、自分で家事を行なってみて、初めてわかることだ。毎日献立考えるの大変…。洗濯物とホコリってすぐ貯まるんだな…となるわけである。年末年始に実家に帰り、両親の偉大さをまざまざと思い知らされるものは少なくないだろう。

しかし、自粛モードとなり、新たに気づかされることがある。主婦・主夫は四六時中家にいられる忍耐力のすごさを持っていることだ。

働きに出ているものからすると、ゴロゴロとテレビの前での転がっている姿はまるで遊んでいるようにしか見えない。こっちは死ぬ思いで働きに出てるんだぞ、と言いたくなる日もあろう。しかし、家を守るものの日常を考えてみると、ほとんど外に出ることはないのである。買い出しのためのスーパーや薬局。子供の送り迎えなどの保育園など、ほとんどが半径10km以内で行われている。電車に乗ることなんて、そうそうない。

しかも、週に一度でも、近所の友達とカフェランチをしようものなら、非難轟々なのこともあるのだという。パートナーによっては、働きに出ることも許されない。そうなれば完全に家に縛りつけられているようなものだ。緊急事態宣言もびっくりの自粛モードである。

もともと、家事に勤しむ母の背中を見ていたものとしては、専業主婦・主夫の評価の低さを疑問に感じていた。「おたくは働きに出ないでいいですねえ」など共働きの人たちに揶揄されることもあるのだという。しかし何のことはない。家事を完璧にこなして、帰ってくる家を作ることで、働き手のマネジメントを行なっていると思えば、家を守る人の収入は半分くらいと考えても正当だろう。

なにせ組織においては役割分担が重要である。例えば総務の人などは疎かにされがちだが、会社にいるのといないのでは負担が大きく異なる。目に見えて成果がわかりやすい営業職などと比べて、総務・経理などのいわゆる「守備の人」は評価されづらい。ゆえに典型的な「守備の人」である主婦・主夫も評価されづらいわけだが、とはいえあんまりじゃないか、と苦々しく思ったものだ。ミスが許されない上に、成果の出づらい「専守防衛」は、結構な忍耐力を要するものなのである。

違う立場やスタンスの人間に対して、どうしても辛辣になってしまうのは人間の性だ。必死になっていればいるほど、自分と異なるものに対しての拒絶感でいっぱいになってしまうことだろう。しかし、他者への想像力を広げるヒントは世界にいくらでも転がっている。

だって、気が付かないあいだに、僕らはいろんな人たちの追体験をしているのだ。家から出ることができない主婦・主夫や、仕事が見つからず悩んでいる人。コミュニケーションが変わったことで、友達とうまく話せなくなった人だっているだろう。自分がバカにしてきた人が実は大変な思いをしていたのかもしれないと、思い知らされることもあるだろう。少しの想像力で世界の見え方は大きく変わるのだ。

とりあえずカーネーションを送る準備でもしようか。

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