午前1時、“引きこもり”の雑考
日常の中の不便は必要なのかもしれない。
人が「どこに不満や不便を感じるか」ということは、生活の改善へのもっともわかりやすいヒントとなるからだ。つまり、より多くの人がストレスを感じる場所を改善することが、ソーシャルグッドへの第一歩。
例えば、家電三種の神器などを考えるとわかりやすい。この発明によって、多くの人の生活水準がグッと上がったと言われている。生活に起因する不便の多くを改善した大発明だ。日本神話から言葉を引用していることからもその重要性がよくわかるだろう。
さて、現状の私たちも実に不満や不便を感じているに違いない。緊急事態宣言によって、容易に外出することが困難になった。普段とは異なる生活に多くの人がストレスを感じているわけである。ではリモートワークや家に引きこもることによる、ストレスは具体的にはどこにあるのだろうか。少し考えてみよう。
例えば、ビデオ会議である。
Zoom飲みなど様々なムーブメントが生み出されているツールであるが、その便利さとは裏腹に若干のストレスを感じている人は少なくないはずだ。対面で会うことができないからという結論に安易にすがってしまいがちだが、もう少し掘り下げてみたい。
毎週水曜日の深夜3時から放送している佐久間宣行のANNでは、「ビデオ会議では雑談がしづらい」という話をなされていた。空気感が違うなどの問題はもちろんあるだろうが、もう少し考えてみると、その人の顔が明確にわかりすぎてしまうことなのかもしれないなのではないか、ということに思い当たる。
テレビなどに考え直すと非常にわかりやすいが、カメラのカットによって話の面白さというのは明確に変わってくる。ヨリでこそ面白いシーンもあれば、ヒキのカットでこそ面白いシーンもある。見ている距離感によって、面白さというのは変わるのだ(あるいは人の顔が動き続けることで、話が頭に入ってきづらいということもあるだろう)。それくらい視覚情報というものは、人間の感覚に作用してくるのである。
つまりビデオ会議においての問題点を考えると、普段のコミュニケーションとは視覚的な意味で全く距離感が違うことだ。端的にいうなら、カメラが近すぎる=距離感が近すぎて、気持ちが悪い。どんなに仲のいい相手でも、人話す時にずっと人の顔を見ているわけではないのだ。
では、改善はどのようにすればいいのだろう。
例えば、ビデオカメラのレンズを広角にすれば、もう少しリアルな感覚に近いかもしれない。視野が広がることで、会話の際の距離感も少し異なるはずだ。また少しカメラを引いてしまうというのも一つの手である。
あるいは一歩進んで、車の車内のような空気感を出すことも良いかもしれない。車の中は会話が弾むというが、それは相手の顔を直視する必要がないからだという。ともすれば、横顔だけうつして、メインの画面は流れゆく風景などもいいだろう。程よくリラックスして会話ができるはずだ。
思いつく中で一番、申し分ないのはVR会議室である。エヴァンゲリオンのゼーレのような円卓の仮想空間を作って、そこで会議を行う。視界も広がるし、声のする方向に目を向けることもできる。これなら割と気軽に会話ができるのではないか。ついでに全員の手元から書き込めるホワイトボードなどもあるとなお良しである。誰か発明してくれないだろうか。
さて、これらは全て頭の中での絵空事である。しかし、考えているだけでもワクワクするのは僕だけだろうか。不便さや不自由さに目を向けて、改善策を考えていくのは、未来に進んでいるような心地で実に清々しい。イノベーションとは、ちょっとした不便さに目を向けること始まるのかもしれない、などと柄にもないことを考えてしまう今日この頃である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?