「ポエトリー・ナイトフライト」二次予選感想
■馬大頭「頂に立つ」
華がある、ということは習って身につけられるものじゃないし、そこはすごくギフトであり、アドバンテージだとおもう。
ただそれでイニシアチブ(を握る)までいけてないのがもったいない。
ヤンマは若いけど、ヒップホップの世界では10代でもゴリゴリ上手い子はいまやまったく珍しくない。
スキルだけでいえば、はっきりいって「20歳かあ、ふつう」だとおもう。
そこでどう差異化をするか。
a.ヤンマ節を突き詰める
となると素っ裸感を出すのに特化するか、あるいはことばのコーディネートから照れ・背伸びみたいなものを削るか。
b.上手くなる
個人的には今の正解はこっちな気がする。
ひとことでいうと、音楽をもっと聴くといいとおもう。
好きなアーティストやジャンルだけじゃなくって、「?」ってなりつつも「でもなんかかっこいいな」「なんでかっこいいんだろう」と思考が進んでいくとそこがリズム扱いやデリバリーに影響してくるはず。
ヤンマはそこそこ頑固な子だというふうにおもっていて、でもそれは武器が少ないからそうなってるだけって感がある。拡げていこう。
それと、MVめっちゃかっこいいねんけど、入りはF.Iとかでもよかったかなあ。
ただアリモノを持ってきました!っていうのはこういうスラムではちょっと不利に働く可能性がある。
■素潜り旬「ばるぼら」
この域までいくともはや善悪ではないのだけど、カメラの前でもステージとおなじようにできる、というのは実はめちゃくちゃ難しいことで、それが体得できてるがゆえに、いい意味で「なにをやっても素潜り旬」という安心感と、別の意味で「なにをやっても素潜り旬」をどこまで続けるんだろう、という気分にはなる。
ただ、これは素潜り自体が(たとえば食べられなかった野菜が食べられるようになった、くらいのことでも)ちょびっと変わるだけで反映されるものだから、個人的にはまだしばらくは手を加える必要はないかな、とおもってはいる。
しかし、このひとの謎のヒーロー感はほんとうにすごい。
発声も滑舌も決してよくないのだけれど、
それをふくめて作品だとおもわせてしまうのは、
ことばのリズムや音への神経が敏感なのが
ちゃんと場に出ているからだろう。
■ことら「理不尽」
まずMVの完成度がすごい。
ひとつ難しいのが、この企画のレギュレーションゆえなのだけど、
これを仮に朗読のみの作品として聴いたとき、
どれだけフックがあるだろうか、という点で。
「ポエティックな映像作品」という枠では
ぼくはおもしろいとおもうのだけれど、
テキストそのもの、朗読そのものに力を感じるかというと、
どうしても映像に(印象が)呑まれてしまう気がする。
それと、映像と詩のリンクがちょっと狙いすぎていて
「馬から落馬」ではないけど、たとえば「椿」って書いてあるお軸の横に椿を活けてるような指しすぎ感はところどころでありました。
そこは受け手の想像力をもっと信用してもいいんじゃないかな。
■川島むー「線上のアリア」
板の上にいるひとだなあ、とおもう。
むーさんのストロングスタイルというのがあって、
ただそれがライト・ヴァース寄りかつ、昔の詩ボクによくあったような笑えない大喜利やひとりコントとは一線を画する志向の明確さとテキスト、朗読双方の体力があるので
「なんか気がついたらくすってさせられてた」
「なんか気がついたらあのフレーズを深読みしてた」
っていうふうに(ぼくは)なります。
そう、ことばのおもしろがりかたにはこういう風景があっていいんだよね、って実感しました。
■クノタカヒロ「2分で梶井基次郎『檸檬』」
アイデア勝負なんだけど、もう一声ないと「檸檬」や梶井基次郎を知らないって層にはなにがなんだか、という感があって、もっともそれをあえてこの場にぶち込んできたことに敬意を表したい。
途中途中での引用(リミックス)もすごくいい。
ただ繰り返される「革命だった」というパンチラインが
やっぱりこれは梶井基次郎をわからないと作意どおりすんと通らない気はします。
それと、内容そのものはクールだし、まとめサイトの見出しみたいなタイトルは聴き終わったあとに、個人的には逆効果なのではないかなあって。
■谷脇クリタ「火星虫」
みずからお題を課すマゾっぷり(すきです)。
クリタさんの景色が見えるワードチョイスと、
ところどころで裏切ってきてそこでまた
別次元の景色がかぶってくるのはほんとうに巧い。
「すこしふしぎ」を体現したような作品。
淡々としてはいるけれど、中毒性があるし、
ある意味ラッパーよりも「語感」「語意」への意識が強い。
「ことばっておもろいやん」って素直におもわされました。
収束もきれいで(そうじゃないとこういう作品は成立しないという宿痾はあれど、そこをちゃんと通してるのふくめ)すきだなあ。
■アメージングだいや「散歩」
ことらさんで感じたこととも近いのだけど、
「この詩を映像つきで表現するならこう」なのか
「映像ありきでこの詩を表現します」がちょっと振り切れていないというか、
わかるけど、どちらかというと詩より映像作品として入ってくるなっておもってしまう。
そこを本人がどう感じているのかはちょっと気になります。
ただ、「足元でもう一人、のっぺらぼうの僕が~」のラインはすごくよかった。
そういうのの足し算でもいいんだけどな。
■元澤一樹「朗読、雨天決行」
これはずるい。
あえて多くは言わないけど、
好意的な意味で、これはずるい。ただ、あくまで即興とのことなので、これはこれで一局、としていいものかどうか。