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純情の果てに降る冷たい雨

秋の風が街を駆け抜ける夕暮れ、真理子は駅前のカフェでコーヒーを片手に、窓の外に目をやっていた。

あの人が現れるのを待つ時間ですら、彼女にとっては甘く特別なものだった。
ふと扉のベルが鳴り、カフェの中に冷たい風が流れ込む。
その風と一緒に、和彦が現れた。

「お待たせ、真理子。」和彦が微笑みながら席に座る。

彼の仕草、声、全てが彼女の心をときめかせた。

「ううん、大丈夫。今来たばかりだから。」

真理子はにっこりと笑い返す。
二人の間にあるのは、透明で純粋な恋の空気だった。
出会ってから半年。
お互い忙しい仕事の合間を縫ってデートを重ね、言葉では言い表せない特別な関係が芽生えていた。

二人は同じ会社で働く同僚として出会ったが、すぐに意気投合し、いつしか仕事帰りに食事をするのが日課になっていた。
ある日、和彦が何気なく口にした言葉が、真理子の心に響いたのだ。

「真理子、君といると、なんだか心が安らぐんだ。僕はずっと、こんな時間を待ち望んでいたのかもしれない。」

その瞬間から、二人の関係は変わった。
デートを重ねるたびに、心の距離はどんどん縮まり、互いの存在が日常の一部となっていった。
真理子は和彦と一緒にいると、まるで少女のように無邪気で自由な気持ちになれた。
和彦もまた、真理子の笑顔に心から癒され、彼女と過ごす時間が何よりも愛おしかった。

週末にはドライブに出かけ、海辺で寄り添いながら夕日を眺めることもあった。
真理子の頬に触れる和彦の優しい手、彼の肩に寄りかかると感じる温もり。
それら全てが、二人にとってかけがえのない幸せな瞬間だった。

「いつか、僕たちで小さな家を建てようか。ベランダには花を植えて、君が好きなカフェを開くのもいいね。」

和彦が夢見るように語ったとき、真理子は胸がいっぱいになった。
そんな彼の未来の中に自分がいると思うだけで、どんな困難も乗り越えられると感じていた。
それは、まるで映画のワンシーンのように美しい日々だった。

恋に落ちた二人は、周りのことなど何も見えなくなり、お互いだけに夢中になっていた。
真理子も和彦も、自分たちが純粋な恋人同士だと信じ、すべてを捧げる覚悟でいた。
しかし、そんな二人の幸せな日々は、ある出来事をきっかけに急転直下する。

それは、和彦のスマートフォンにかかってきた一通の電話だった。
ある日、二人がデートを終え、カフェを出たときに着信が鳴り響いた。
和彦が慌てて電話に出る様子に、真理子は違和感を覚えた。

「……ああ、今は少し忙しいんだ。帰ったら話すから。」

和彦は短くそう告げて電話を切った。普段は見せない真剣な表情に、真理子の胸に一抹の不安がよぎる。

「誰だったの?」

真理子が尋ねると、和彦は一瞬だけ迷うような表情を見せたが、すぐに笑顔を作り「ただの仕事の連絡さ」と言った。
その言葉に、真理子もそれ以上問い詰めることはしなかった。
しかし、心の中には言いようのない不安が広がっていた。

数日後、二人の世界が音を立てて崩れ始める出来事が起こる。
真理子のもとに、一通の封筒が届いたのだ。
送り主の名前はなく、中には数枚の写真と一枚の手紙が入っていた。
写真を見た瞬間、真理子の心臓は止まるかと思った。
そこには、和彦と女性と子供が一緒に写っている写真があった。

家族写真だった。

手紙には簡潔な言葉が書かれていた。
「彼は既婚者です。あなたも真実を知るべきです。」
真理子の頭の中は真っ白になり、立ち尽くすしかなかった。

和彦が……既婚者?彼との未来を夢見ていた自分が、あまりにも愚かだったと理解したとき、涙が頬を伝った。
そしてその日の夜、和彦から連絡が来た。電話口での彼の声はいつもと変わらなかったが、真理子はもう聞くことができなかった。

「……あなた、嘘をついてたのね。私たちが築いてきたもの、全部嘘だったの?」

和彦は沈黙した。
真理子が何を知ってしまったのか、彼にはすぐに理解できた。
そして、彼もまた、自分が隠していた事実と向き合わなければならなかった。

だが、この嵐はまだ終わりではなかった。

数日後、和彦の妻が会社に現れた。
彼女の目は怒りと悲しみで燃えていた。
職場中に二人の関係が知れ渡り、和彦は左遷を言い渡された。
そして、真理子もまた会社で白い目で見られるようになり、居場所を失った。
さらに追い打ちをかけるように、真理子の家庭も崩れ始めた。

真理子には実は夫と小さな子供がいた。
真理子の夫、健一は彼女の様子に不審を抱き、彼女のスマートフォンを見てしまったのだ。
そこには、和彦とのメッセージのやり取りが残されていた。
彼は真理子の裏切りに呆然とし、離婚を決意した。

こうして、二人の美しく輝いていた日々は、一気に泥沼へと変わっていった。

和彦は家庭を失い、職場でも信頼を失い、何もかもが崩れ去っていった。
真理子もまた、家庭を失い、仕事を失い、友人からも孤立した。
二人の純粋な恋愛は、いつしか彼ら自身を破滅へと導く罠となっていたのだ。

冷たい雨が降り続くカフェで、真理子はただ黙って窓の外を見つめていた。
目の前には、うつむいたままの和彦が座っている。

以前のようなキラキラした時間はもう二度と戻ってこない。
残されたのは、罪と後悔だけだった。


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