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暮らしと学問 35 車なしで十分平和で快適に暮らしていくことの可能性について

(はじめに)どうして僕が車に乗らないかというと、理由は実に簡単で、必要ないからです。しかし、最近、車に乗らない感覚の不便さを感じていますが、それも工夫で乗り越えられそうです。だとすれば、車に依存しない分、その費用を回せば、車なしで十分平和で快適に暮らしていくことができるのではないかと考えてみました。

ウジケさん、はよ、メンキョとりな

 転職関連で考えさせられた話題で恐縮ですが、ちょっと自分自身としても記録して残しておきたい話題なので「暮らしと学問」として取り上げてみようと思います。

 東京でも都下であれば、それがスタンダードであるように、日本の田舎とは、基本的に自動車の所有を前提として社会が制度設計されています。戦後の日本社会は、先の東京オリンピックを境にして急速にモータリゼーションが進んだと言われています。
 
 公共交通機関のような時刻表の制約にも縛られず、自分自身の自在な足としてどこまでも行き来できる自動車は確かに便利です。しかし、それは裏を返せば、「買い物難民」という言葉が象徴するように、自動車がなければ生活が成り立たないということをも意味しているのも事実です。便利であるということの諸刃の刃を象徴するのが自動車という利器ではないでしょうか。

 さて、僕は、3年前に、東京から讃岐に流罪されたのですが(汗、当地もご多分に漏れず、車がなければ不自由を強いられるお土地柄です。

 しかし、自動車の免許がないこと、そしてSDGs的なライフスタイルを維持したいこと、そしてロードバイク生活でも不自由ではあるけれども生活できなくはないことを理由に、自動車に依存するライフスタイルとは決別した生活を遂行しております。

 「ウジケさん、はよ、メンキョとりな

 などと言われ続けていますが、自動車がなくてもなんとかなることは事実ですから、まあ、それでよし、という感じでしょうか。

東中野から東京ディズニーランドへはどのルートで行けばよいのか問題

 しかし、ここに来て隘路に横着しているのも事実です。それが最初に言及した「転職関連で考えさせられた話題」です。現在、人、モノ、情報の流れを活性化させることで地域を元気にしていこうという事業に取り組んでいるのですが、人の流れの活発化は当然その地域を知らない人を招くことになります。そして、その地域の良さを相互に知ってもらうことで地域再生という話です。

 そこで出てくるのが、例えば、「○○市まで行くのは、どのルートで、何分ぐらいかかるのかな?」という問題です。完全にモータライゼーションが前提とされた話題です。

 僕は自動車に乗らないので、当然、何分ぐらいかかるのかは即答できませんので、同僚に伺ってから伝えたりするのですが、それでもなれてくれば、そこまではだいたい、これぐらいという時間を伝えることができるようになりました。

 しかし、問題なのはルートの方です。

 例えてみれば、東中野から東京ディズニーランドへ行くのは、電車であれば即答できます。しかし、自動車で行くとなれば、どの道を使うと便利のなかを答えるという問題です。

 こちらは、実際に、自動車に乗らなければ、わかりにくい問題で、もちろん、グーグルマップのルート検索を使えば済むわけですが、相手としても、それを前提にしながら、より便利なルートはどちらなのかといった問題になってしまうと完全にお手上げというわけです。

 だからといって、自動車を実際に運転してみて、より便利なルートを足で調べるということの費用対効果は問題がありすぎますので、やってみようとは思いませんけれども、少しはロードバイクで走ってみようかなとも現在は考えています。

 そして、自動車と同じ道路をロードバイクで走っている訳ですが、なかなか覚えられないのが、この道路が、例えば、「国道○○号線」という問題です。これは僕だけの問題なのかも知れませんが。

車なしで十分平和に生きていくこと

 しかし、それでも自動車を所有しようとか、あるいは運転しようと思わない最大の理由とは何かと考え、村上春樹さんの指摘に従うならば、次のようになります。

 どうしてこんなに僕のまわりの人々が車に乗らないかというと、理由は実に簡単で、必要ないからである。車に乗ると余計な神経を使うし、余計な金がかかるし、酒は飲め直し、洗車や車検やらといった手間がかかるし……なんていうことを考えると、これはどうみたって地下鉄やタクシーを利用した方が楽である。そりゃ北海道の湿原のまん中に住んでいるなんていう人は車がないことには生活していけないだろうけれど、東京近郊で暮らしていくぶんには車なんて必要ないんじゃないかと僕は思う。
(出典)村上春樹「自動車について」、村上春樹『村上朝日堂の逆襲』新潮文庫、平成元年、61頁。

 村上春樹さんとちょっとだけ違うのは、現在の僕の「まわりの人々」は車に乗りまくる人ばかりですし、地下鉄などありませんが、村上春樹さんと現在を共有するならば「僕自身の例でいうと、車を持っていないことを不便に感じるのは年に一回か二回くらいのものであって、その一回か二回をなんとかしのげば--もちろんしのげる--あとは電車と徒歩とタクシーで全部事足りてしまう」のが実情ですから、自動車に依存しないで済んでいるのではないかと考えています。

 もちろん、讃岐に地下鉄はありませんが、それでも一時間に一本の電車であったとしても、うまくそれを利用し、ロードバイクと徒歩とタクシーを組み合わせれば済んでしまうのは偽わざる事実です。

 村上春樹さんの「自動車について」というエッセーは1985年の『週刊朝日』に連載されたものですが、その当時に記憶として「それはまあ人それぞれの事情はあると思うけれど、あんなにみんな争って車に乗りたがることもないんじゃないか? ほんの三十年くらい前ではおおかたの人は車なしで十分平和に生きていたんだから」って事実は、今でも同じではないかと考えてしまいます。

 実は転職後に、自動車を所有しようかと真面目に考えたことがあります。そしてその費用をはじき出したのですが、軽自動車で自動車自体のローンがないと仮定してシュミレーションしてみました。洗車の費用を除くとしても、税金、車検、保険の費用だけでも月賦してみるならば、2~3万円のランニングコストが予想されます。

 そこに燃料代が計上されるわけですから、「余計な金がかかるし、酒は飲め直し、洗車や車検やらといった手間がかかる」余計な神経を使わないことも勘案しつつ、それで生活が成立するのであれば、その分を自分自身への投資へコストしたほうが「車なしで十分平和に生きて」いくことが可能なのじゃありませんかね?

 車がなくてちょっとだけ不便であったとしても、毎月2~3万もそこに払う費用がなければ、ちょっとだけ美味しいものを頂いたり、趣味を深めてみることにも余裕がありますよね。

 今回は、 「ウジケさん、はよ、メンキョとりな」 と言われても、取らない理由をちょっとだけ考えてみました。あはは。


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氏家 法雄 ujike.norio
氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。