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【99】夢の話-1:悲しかった夢、アリス紗良オットさんの「夢」 2023.1.3

 夢を見るのが大好き(夜寝て見るほうです)で、夢ノートを付けていたりしました。

 夢の中で好きな人に出会ったりして、また会おうねと約束して、一旦別れ、もう一度その場所に行こうとするのですが、夢の中の世界ってどんどん変貌していってしまい、どうしてもその場所に戻れず切ない思いで目を覚ますとか、
どこかの星の首都に3人くらいのチームで忍び込むSF的な夢とか、
海を泳ぐイルカのような生き物になった夢とか、色々なものを見ています。

 空を飛ぶ夢もよく見ます。
 リアルな夢をみて、何か怖いものに追われていたり、どこかに出張していて道に迷ってしまっていたりして本気で焦っているようなときに、これは本当じゃない、夢だよなと確認するとき、私は試しに飛んでみるのです。飛ぶといっても鳥のように高く飛ぶのではなく、月面散歩のように、1歩で10-20mくらいふわーっと跳躍するという感じなのですが、それができるとああこれは夢なんだと安心するのです。
 この夢の中で空を飛ぶ感覚はとても心地よくて、私は昔飛んだことがあるしいつか絶対飛べるようになるんだとどこかで半ば信じているのです。
 夢の中では飛ぶことはとても簡単で、飛び方のコツを一生懸命覚えておこうと思うのですが、目が覚めたとたんにそれが薄れて消えていってしまうのは残念でなりません。

 昔、大学を卒業する直前に事故で頭を打って即入院となったことがあり、その時に頭がぼうっとして現実感が薄れ、夢の中にいるような気がしてきて、これは夢なんだ覚めればいいんだと思って、覚めようとしたのですが、どうしても覚めることができず、それが現実だったことにショックを受けたことがあり、それ以来、夢を見ても、もしかしたらこれは現実なのではないか、夢と現実の境目のあいまいさということを思うようになりました。

 中国の思想家、荘子という人の書いたものの中に「胡蝶の夢」という寓話があり、荘子があるとき昼寝をしていて、胡蝶になり花園をひらひらと飛び回る夢を見た。目覚めて思ったのは、荘子が胡蝶の夢を見たのか、それとも胡蝶が荘子の夢を見ているのか、どちらが本当なんだろう、という問いかけなのでした。
 もしかしたら私はあの時の夢から覚めないままに来ているのでしょうか? 
 ほんとうに夢っていったい何なのでしょうね、不思議です。
 
 さて、そんな私の見た悲しい夢の話をします。
 私はある時期、新幹線通勤で東京まで通っていたのです。有難いことに大体いつも座ることができたので、往復の新幹線の中では本を読んだり、仕事の確認をしたり、睡眠時間の足しにしようと眠ったりしていました。
 その時は、ふと眠り込んで夢を見ていて、その夢の中の私は新幹線の座席に座って眠りこんでいて、「もうあと少しで駅に着く頃だ。家に帰れる。そろそろ起きなきゃ」と考えていたのです。
 新幹線が減速し、目を開けて、愕然としました。
そこは東京駅で時刻はまだ朝、これは行きの新幹線で、これから仕事に行かなければならなかったのです。
がっかりしましたね。その日、倍、疲れたことはいうまでもありません。

この夢は2-3回見ました。疲れてたんですね。

とまあ、こんなしょぅもない話は、アリス紗良オットさんのピアノ演奏によるドビュッシーの「夢」で締めくくることにいたします。
紗良さんについてはまた別稿で書きたいと思っているのですが、こうした繊細な音楽の表現は素晴らしいと思います。


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