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花あやめくぐもり咲きてなほ咲きぬ「攝津幸彦選集」:私ならこうしてベストセラーにする! 海皇宗治
お断り
最初に断っておきますが、このお話はフィクションです。
私の所属するささやかな俳句結社カンナ俳句会では毎月機関誌を発行しており、その巻頭で会長兼編集長が、<今月の一句>ということで、一人の俳人と代表句について紹介をすることが恒例になっています。
当時の名物編集長麦處さんがその月取り上げたのが攝津幸彦さんでした。
それを読んで麦處さんのところに行って、「妙な俳句を書く方ですねえ。」と感想を述べたら、「そうでしょ、面白いでしょ。じゃ、これ読みますか。」
と押し付けられた、もといお貸しいただいたのがこの 「攝津幸彦選集」 でした。
お借りしたからには読まねばならぬ。読んだからにはそれなりの感想を述べねばならぬ。
しかるに分厚いその本に満載される攝津さんの句の行けども行けども訳の分からぬこと・・・。
困り切った私がふと思ったのが、これを売らなけれないけない編集者は大変だろうなということで、そんな編集者に仮託して言いたい放題でなんとか書き上げたのがこの駄文です。
文中ではうだつの上がらないペーペー下っ端編集者が勝手な失礼千万の妄言を吐いておりますが、なにせ理解力の欠如した馬鹿者のいうことですので、どうか御寛恕をとお願い申し上げる次第であります。
万が一にも酔狂なお客さんが興味を持たれて、1冊でも2冊でもこの本が売れることがありましたら望外の幸せでございます。
1 「攝津幸彦選集」 なんじゃこれ! なんで俺が!
某月某日、麦処編集長に呼ばれる。
「攝津幸彦って知ってるか?」
「知りません。」初めて聞いた。
「だろうな。」お前が知ってたらびっくりだ。
「もう死んでる人だが、なんというか妙な俳句を作るんだ。一部のマニアには人気がある。」
「それが何か?」
「うちの柱の某大先生が攝津を推していてな。絶対売れるというんだ。半信半疑だったが、ほかにいい企画も無くて、代表的な句を集めた選集出すことにして。これまた初回にしては沢山刷っちまった。」
「それが?」
「しかるにだ、これが全く売れない、返本の山だ。これだ、この本だ。」
「それが私と何か?」
「このままだと大赤字、大打撃だ。ついては、お前、何とかしてこいつを売ってこい。」
「ええっ、私が?なんで?」
「なんでもくそもない、暇なのはお前しかいない。売ってこなきゃお前のボーナスはゼロだ。いいな。」
というわけで縁もゆかりもない攝津の本を売らなければならなくなってしまった。
2 攝津幸彦って誰なの? 何を言いたいの?無意味なことに意味があるの?
はて?攝津幸彦?。
昭和22(1947)年1月28日生まれ、平成8(1996)年10月23日49歳で没というと、なんだ、俺の3個上、兄貴と同じ年か。ということは。戦後から平成始めまで、ほとんど同じ時代を生きた同輩ということになる。
さて、この攝津選集を、開くと中に本人のセリフがある。
「言葉とほとんど同時的に生じてしまう意味なるものにとても不快を覚えてしまう」
「出来上がった瞬間、はじめに求めていたなにかっていうのはなにもなくって、全く無意味な風景がそこに広がっている というのを理想としている。」
言ってる意味がよくわからない。意味を乗せるのが言葉だろうに。
それがいやなら口をきかなきゃいいんじゃないの。
「季語は全く無視、定形はできるだけ守りたい。」
わがままなだなあ。できるだけとかいうアバウトさがいやだ。
中身をパラパラと読み始めてみると
二十六歳の初句集から、三十代後半くらいの前期10年、ページをめくってもめくっても狂人の戯言のような意味不明の句がずらずらと並んでいて辟易する。
強いて言えば脈絡のない言葉の並びの中に一つの気分というか絵というか、そんなものが見えるような気がしないでもない。
しかるに、その絵がみな暗いのだ、暗くて、しかも重い。
暗黒のシリーズがあったりして、饐えた血の臭い、どろどろした内臓感覚といったような横溝正史的、八つ墓村的おどろしい風景が旺盛な創作意欲で書き殴られていて、そんな風景見えても誰が喜ぶというのだ。
百聞は一見で、比較的穏当なものを行き当たりばったり無作為に抜き出すと
逆むらさきの傷みいもうと林立せり
みづからの水からつひに背中なり
北まくら黄ばみてまくらたる悲鳴
さみだれに頭部の夫人は斃れけり
ひた思ゆ舌燃ゆるひひほほかむり
何だよこれは?
逆むらさきってなんだよ。
ひひがほっかむりしてるの見たことあるのかよ。
この人は何をいいたいのだ?
と思ってみても、作者自身が無意味をねらっていると言ってるのに、そこに意味を探すという行為になんの意味が有るというのか。
無意味である。
編集長。こんな本、なんで刷ったの?この俺にどうやって売れというの?
頭がずきずきしてきた。
3 40歳を過ぎて芸風が変わる!
しかし、待てよ、40歳を過ぎるころから過激さが薄れてくる。
「昔は別段意味がとれなくてもいいんだという感じがあったけどこの頃は最低限意味はとれなくてはだめだと思うようになりました。」
のが1994年47歳の時のセリフ、そりゃそうだろう、だって句集を出すということは、他人様に見て、買ってもらいたんでしょ。
狂乱のバブルも弾け、あと2年で死んじまうという頃になってようやく気付くなんてちょっと遅すぎるだろう。
と突っ込みたくもなるのだが、柔らかさが出はじめてみると中にはこれいいんじゃないの?これは使えるかも、なぞというのが混じってきたりする。
というわけでとりあえず、ちょっと面白そうなのを抜き出してみる。
暗黒の先へ先へと転がる白桃
麦秋をゆくその人や逝(さ)りにけり
鷗・元伯爵・韃靼・語草
中指のま中へくぢら疾走せり
夭人(わかひと)は美(は)しき舟夫(かこ)かな天の川
花あやめくぐもり咲きてなほ咲きぬ
沈む船より梨の花なぞ見えやせぬ
高田の馬場純喫茶白鳥にてくさる
脳天や秋のうどんのために座す
ありもせぬ盲学校が燃えている
虎に虎入りて虚空のしづけさよ
六道の一つを急ぐ日和下駄
ひんやりとしゅりんと朱夏の宇宙駅
遠ざかる子がゐていつも夏帽子
猫目石のやうな目をして猫の妻
沈黙や夕べはひどく犀である
ぶらぶらと春の河まで棄てに行く
一月二十八日取いだしたる馬の骨
月夜野にだだだ・だだだと蝶湧きぬ
夕星や一直線に花堕ちて
春二番成瀬巳喜男のチンドン屋
文禄元年春以下百字読めずに候
最後の文禄元年の句は思わず笑った、秀逸、傑作、最高! しかし売込みには使えないな。
よしわかった。本の売り方、決めたぞ!
4 夭折の天才俳人 :攝津幸彦はこうして売る!
この本の本体はビニールで包んで封をして絶対中を見られないようにする。
そうして、すべては帯の惹句で勝負する。
帯には3句載せよう。3句あれば充分。
一番、らしくない句を選べばよいのだ。
それから、49歳というのはちょっと微妙、せめて三十代にして欲しかったが、まあギリで夭折ってことにする。日本人は夭折好きだしな。
というわけで、できたぞ、よし、こんな感じだ。
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戦後の昭和を駆け抜けた夭折の天才俳人 『攝津幸彦 選集』
”花あやめくぐもり咲きてなほ咲きぬ”
”ひんやりとしゅりんと朱夏の宇宙駅”
”遠ざかる子がゐていつも夏帽子 ”
その独自の抒情と世界観をこの一冊で!
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思わず手に取ってレジに並んで、家に帰って中身を読んでみて、
どう思おうが知ったことではない。ひひほっかむりだ。
(了)
5 蛇足の返歌 by 海皇宗治
中指のま中へくぢら疾走せり
真額のま中へ目くぢら疾走せり
虎に虎入りて虚空のしづけさよ
虎穴入りて悲鳴途絶えししづけさよ
沈黙や夕べはひどく犀である
沈黙や犀はとってもshyである
雄弁や妻はあんまりshyでない