【245】天盆(王城夕紀)とイステージア(中島みゆき) 2024.9.27
1 謎の曲 イステージア(中島みゆき)
中島みゆきさんにイステージア(EASTASIA)という不思議な曲がある。
他の超有名な曲に比べると、そんなに誰もが知っているというようなヒット曲ではないと思うのだが、「糸」とか「浅い眠り」のようなメガヒットが収められている第20作目のアルバムのタイトルがEASTASIAであり、そのCDの冒頭に置かれている同名曲なのだから、みゆきさんにとっても重要な、思い入れのある曲に違いないと思えるのだ。
まずは曲を聴いて欲しい。
聴いていただくとわかるように、エスニックでオリエンタルな音階の、あえて無国籍なメロディーと、なによりも歌詞が印象的で、僕にとっては、みゆきさんの歌の中でも、最上位のグループ中に位置する大好きな曲なのである。
しかしこの歌は他のみゆきさんの歌とは違う異色の歌、謎の歌なのだ。
僕は、この歌を聴くたびに、何というのか、いつも不思議な思いにとらわれる。
みゆきさんは一体どういう思いでこの曲を書いたのだろう。
EASTASIAの歌詞を見てみよう。
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降りしきる雨は霞み 地平は空まで
旅人一人歩いてゆく 星をたずねて
どこにでも住む鳩のように 地を這いながら
誰とでもきっと 合わせて生きてゆくことができる
でも心は誰のもの 心はあの人のもの
大きな力にいつも従わされても
私の心は笑っている
こんな力だけで 心まで縛れはしない
くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
むずかしくは知らない ただEAST ASIA
くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
むずかしくは知らない ただEAST ASIA
モンスーンに抱かれて 柳は揺れる
その枝を編んだゆりかごで 悲しみ揺らそう
どこにでもゆく柳絮(りゅうじょ)に姿を変えて
どんな大地でも きっと生きてゆくことができる
でも心は帰りゆく 心はあの人のもと
山より高い壁が築きあげられても
柔らかな風は 笑って越えてゆく
力だけで 心まで縛れはしない
くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
むずかしくは知らない ただEAST ASIA
くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
むずかしくは知らない ただEAST ASIA
世界の場所を教える地図は
誰でも 自分が真ん中だと言い張る
私のくにをどこかに乗せて 地球は
くすくす笑いながら 回ってゆく
くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
むずかしくは知らない ただEAST ASIA
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みゆきさんは一体どういう思いでこの謎めいた曲を書いたのだろう。
1)第1の疑問 旅人と私とあの人の関係は?
まず疑問なのが、旅人と私とあの人の関係だ。
思うに、この曲の主人公である私自身が旅人であり、星をたずねて地平まで見渡せる広い大地(それは島国ではなく大陸のイメージ)をさすらっている。
その主人公は男か女か、「大きな力にいつも従わされて」という言葉からは女性のようにも思えるが、戦乱と思える時代の世界を一人で旅しているということからは男であることが妥当だろう。そしてまだ若い青年であることも間違いないと思われる。
若者の心をとらえているあの人が住むのは、モンスーンに抱かれた、柳の揺れる、黒い瞳の人が住む国 EASTASIA なのだろう。
若者の故郷も最後の節を読むと、私の国がEASTASIAであると書かれているようだ。
若者は何らかの事情で、あの人と別れ、その国を離れて大陸をさまよっているのだと考えられる。
そして若者はどんな障害があってもいつの日かあの人のいるイステージアに帰るのだと固く決意しているのだ。
2)第2の疑問 星とは何か?
若者がたずねている星とは何なのだろうか。
明確な答えは歌詞の中にはないが、もしかすると若者は、何か重要なもの、国の存亡を決するような決定的な力あるもの(星)を探し出し、それを故郷に持ち帰ることを使命として旅立ったのかもしれない。
3)第3の疑問 イステージアとは何処なのか?
モンスーンに抱かれた、暖かく平和で心優しい人の住む彼の祖国、イステージアについて聞かれるたびに若者はさあどこにあるんでしょう、地球のどこかにあるみたいですよと笑ってはぐらかす。
それはイステージアが世に知られて、どこかの国が自分の国にしてしまおうなどと思われないようにするため配慮なのではなかったか。
そして、そう、イステージアも仮名なのだ。
EASTASIAつまり「東アジア」とぼかされた国は、ベトナムやタイ、台湾などにもあてはまるように思われるのだが、みゆきさんが歌う時、それは、みゆきさんの、そして我々の祖国である日本のことを強く示唆しているように思われるのだ。
4)第4の最大の疑問 揺り籠でゆらす悲しみとは?
私がどうしても気になるのは
「その(柳の)枝を編んだゆりかごで 悲しみ揺らそう」
の一節なのだ。
なぜゆりかごの中にあるのが悲しみなのだろう?
普通に考えれば赤子であり幸せと喜びの未来の象徴であるはずなのに。
5)そして最後の疑問 イステージアは今どのような状態にあるのだろうか?
イステージアは今どのような状態に置かれているのだろうか?
黒い瞳の人たちは今も平和の中にまどろみ幸せな生活を送っているのだろうか?
あの人は今も元気で生きているのだろうか?
若者が星をたずねて国を脱出しなければならないような何かとは何だったのだろうか?
国へ帰るには「山より高い壁」のような障害があると言ってるような記載があるのだが、その障害とは一体何なのだろう?
ハッピーエンドかと思われた物語に、にわかに影が射すのを感じるのだ。
2 天盆は王城夕紀さんの書いた小説
イステージアの疑問については一旦置いておいて、「天盆」という小説の話に移る。
1)天盆とは将棋のようなゲームである
「天盆」は王城夕紀さんという方の書いた無茶苦茶に面白い小説である。
諸国が乱立して争った中国の戦国時代をイメージしたと思われる架空の時代、架空の土地を舞台にした物語である。
小国「蓋」の国では、将棋に非常に近いルールの盤戯「天盆」が大流行している。
なぜなら天に代わって「蓋」を統べる天代になるのは、天盆の全国大会の優勝者なのである。
これは、言ってみればあの藤井聡太さんを総理大臣に据えるようなことの訳で、聡太さんのあの先を読む力、危地において動じず前例にとらわれぬ最善手を繰り出す精神力などを見ると、今の政治家たちよりもよほど期待ができそうな気もし、日本も見習ったらいいのにと思ったりする。
優勝せずとも、好成績を挙げれば高位の役職につくことも可能な、全ての人にチャンスが与えられたこの大会のために、人々は必死で研鑽に励むのだが、結局優勝するのは子供の頃から優秀な先生について徹底的にエリート教育をされた貴族たちであり、長い間平民から征陣者は出ていない。
2)天才「凡天」登場
そんな中、少勇という男が物好きにも拾って育てている十三人の孤児たちの末っ子凡天が天盆に異常な才能を発揮し始める。
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(注)ここから先はネタバレしますので、まだ天盆を読んでいない方は読まないで、即、図書館や書店、やネットでこの本を入手してください。
この本は絶対に面白いです。
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3)熱戦の末、そして蓋の国の運命
全国大会に出場した凡天は、平民を勝たせまいとする様々ないじめや妨害、謀略を父母兄弟たちに助けられ乗り越えて勝ち続け、ついに同じく勝ち残った名門白家の当代の天代である白玄の孫、同い年十歳の白斗との天上戦に臨むことなる。
そして壮絶な熱戦の末に、凡天は白斗を下し、天代の座に就く。
試合の終わった凡天と白斗は、見つめ合い楽しかったと笑い合い、互いに敬意を抱きあう。
天代となった凡天と第二位の白斗の二人の童はこの先力を合わせて蓋の国を変えてゆくことになるのか、そして話はどう展開していくのか、夢と期待を膨らむだけ膨らませた最終ページで、とんでもないどんでん返しが待っていた。
天盆戦一色に国中が盛り上がっていた蓋の国のその隙を突いて隣国陳が突然攻め込んでくる。
そして、二十日間の戦いの後「蓋」は「陳」に敗れ、その名を地上から消す。「蓋」の名は、もはやどんな記にも残されていない。
とすべてが終わってしまうのだ。
唖然、呆然!
何か続編を出すことができない大人の事情でもあったのだろうか。
にしても、これはあまりにあんまりだ、抱いた期待をどうしてくれるのだ、こんな終わる方は認めない、いつか続編を書いてくれよと願うばかりなのだが、
しかし実際のところ、隙を見せれば攻め込まれる、そして全てが灰燼に帰す、というのが真実だとも思えるのだ。
3 そしてイステージア
僕はイステージアを聴いた時、ふと「天盆」を思い出したのだ。
イステージアという国は、もうないのではないか、すでに滅ぼされてしまった国で、昔どこかにこんな美しい国があった、と悼んでいるかのように聴こえたのだ。
深読みにすぎると思うのだが、今の日本も油断をしていると過去の国になってしまう、そんな警鐘を鳴らしているような気がするのだ。
いくらなんでも深読みのしすぎだろうと思うのだが、そんな不安を拭い去ることができない自分がいる。