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【206】忘れられない唄:ダウンタウンブギウギバンド:宇崎竜童・阿木燿子そして山口百恵 「身も心も」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「横須賀ストーリー」「I CAME FROM 横須賀」「曼珠沙華」2024.5.21

 クラシック、ロック、フォーク、演歌、ポップス、童謡、洋楽、邦楽・・・
 ジャンルを問わず、心を揺さぶられ、心に刻まれて忘れられない唄があります。

 そんな音楽を、これから何回かに渡って紹介していきたいと思います。

 順不同なのですが第一回は、宇崎竜童・阿木燿子そして山口百恵さんです。


1)「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」 ダウンタウンブギウギバンド 1975.4.20

 1975年4月20日に発売されたこの曲はこの年オリコンチャート5週連続1位となり、累計売上はミリオンセラーに達したといいます。
 この曲についてはもう言うまでもないと思いますが、なんといってもこれが作詞デビューだという阿木燿子さんの歌詞が凄すぎると思います。

2)「身も心も」 ダウンタウンブギウギバンド 1977.10.20


 ダウンタウンブギウギバンドの曲の中で私が一番好きなのは「身も心も」です。
 オリジナルもよいですが、下の、10年後の1987年のライブが凄いです。

3)横須賀ストーリー 1976.6.21 山口百恵 17歳

 山口百恵さんは1972年12月のスター誕生で20社から指名を受けて13歳で芸能界入りを果たし、桜田淳子、森昌子との花の中三トリオとして売り出されます。「ひと夏の経験」で大ヒットを飛ばし、「伊豆の踊子」に主演するなど充分売れてはいたのですが、私の記憶では、アイドル的な可愛さでは桜田淳子に、歌のうまさでは森昌子に後れをとっていて、デビュー4年目のこの頃、歌手としての活動は今一つ伸び悩んでいたような気がします。
 それは、百恵さん自身が年よりも大人びていてアイドルという路線にはまらない部分が出てきてしまっていたこともあったのかもしれません。

 レコード会社としても新たな路線を模索する中で百恵さん自身が阿木、竜童コンビを指名して生まれたのがこの「横須賀ストーリー」でした。
 この凄い詞と、凄い曲は百恵ちゃんには無理なんじゃないかと思ったのでしたが、それを受け止め切りこの曲のヒロインと百恵さんとがぴったり重なった歌唱には驚かされました。この曲で百恵さん以外のカバーというのは考えられないですね。阿木、竜童、百恵の3者でしか生まれ得なかったすごい名曲だと思います。

4)「I CAME FROM 横須賀」 1977.5.21 アルバム「百恵白書」収録 18歳

 横須賀三部作の2番目とされるこの曲も横須賀ストーリーに劣らない名曲だと思います。ヒロインは横須賀ストーリーの少女と同一人物なのでしょうか。

5)「曼殊沙華」 1978.12.21 アルバム「曼殊沙華」収録 19歳

 この曲は、百恵さんが二十歳まの誕生日の1か月前にリリースされた正式アルバム・タイトル『二十才の記念碑 曼珠沙華』に収録されています。 

 この曲は阿木・竜童+百恵さんによって生まれた、歌手山口百恵の残した最高傑作だと私は思います。  

 この曲の冒頭の語りの現実と虚構のシンクロにはドキッとさせられます。

 改めて百恵さんの歌を聴き直してみて、百恵さんの曲のレコードに収録されたバージョンの完成度の高さに驚きました。
 ほかの歌手だとスタジオ録音のレコードよりライブ版の方がテンションが高くて、こっちの方がいいやと思うことが多かったりしますが、百恵さんのここで挙げた三曲ではレコード版の時点で100%の緊張感と完成度になっているところが凄すぎると思いました。
 

 阿木燿子・宇崎竜童と山口百恵の運命的な出会いが生んだこの3曲は本当に傑作だと思います。

補)夢一夜 詞:阿木燿子 曲、歌:南こうせつ 1978.11.25

 夢一夜は1978年11月25日にリリースされた南こうせつの「こんな静かな夜」というアルバムに収録された曲で、阿木燿子さんの提供した詞に
南こうせつが曲を付けて歌っています。
 南こうせつの歌もいいですが、阿木燿子さんの詞の情感の凄さが際立つ曲だと思います。
 阿木燿子さんは天才ですね。

もう一つの補足:1980年10月5日、日本武道館でのさよならコンサートに於ける「曼殊沙華」 21歳     2024.6.30補記

 
 もう一つ補足を追加させてください。

 1980年10月5日、日本武道館でのさよならコンサートでの「曼殊沙華」です。

 このときの「曼殊沙華」はまさに絶唱といえるでしょう。


 このコンサートで百恵さんは最後に「さよならの向こう側」を歌いきり、そして文字通りマイクを置いて、芸能界から去ったのでした。

  

百恵さんは、このときまだ21歳、
その絶頂期に決然と去った百恵さんは、その絶頂期の美しさを刻み込んだままに伝説となったのでした。

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