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【265】令和の人に聴いて欲しい フォークの時代の凄さ:ケメ、赤い鳥、かぐや姫、拓郎、中島みゆき伝説のファイト・・・ 2024.12.25
1 薄化粧 ケメ(佐藤公彦)1976年
ケメこと佐藤公彦さんを知ったのは、五十年も前に毎週聴いていた吉田拓郎の深夜放送でのことでした。
曲目は「通りゃんせ」1972年でした。
五月雨五月よ来るがよい 実らぬ恋もあるがよい・・・
と始まる不思議な唄は一度聴いただけで忘れられない深い印象を残しました。
でも、今回紹介したかったのは、下の「薄化粧」の方なのです。
昨夜ユーチューブを見ていて、ふとこの曲に出合い、気になって聴いてみたのです。
この曲は今まで聴くのは初めてでした。
あなたの好みを知りすぎた わたしはいつでも薄化粧
「通りゃんせ」と同じく女性の目から見たケメの懐かしく切ない唄と詞の世界は、竹久夢二さんの絵を背景にしたら似合いそうな昭和の大正浪漫といった雰囲気を持っていて心惹かれました。
フォークソング全盛の1970年代、こんな歌もあったのです。
2 竹田の子守唄 赤い鳥 1971年
薄化粧のあと、無性に当時のフォークソングが聴きたくなってしまって、捜し始めると次々に凄い曲が出てくるのでした。
フォークの時代の熱気と幅の広さ、底の深さはすごかったと改めて思い出しました。
これから紹介する曲達は、令和の世代の人に是非聴いて欲しいと思います。
竹田の子守唄は、京都市伏見区竹田に伝わるものを採譜したと言われます。
フォーククルーセダーズが越中富山のコキリコ節を取り上げたり、当時のフォークには民衆の間に伝わる本当の意味での日本のフォークソングに目を向けようという動きがあり、その代表的なものが赤い鳥によるこの竹田の子守唄でした。
美しいメロディーと声、歌詞の凄さ、初めて聴いたときの衝撃は忘れられません。
3 竹田の子守唄 山本潤子 1999年?
1971年にデビューし1974年には解散してしまった赤い鳥のボーカルだった山本潤子さんが約30年の時を越えてソロで歌っています。
この演奏は潤子さんが年齢を重ねたことでより深みを増し味わいを増しているような気がします。
4 赤ちょうちん かぐや姫 1974年
赤ちょうちんは、神田川・赤ちょうちん・妹と続いたかぐや姫と作詞の喜多条忠のコンビによる「四畳半三部作」の第2弾になります。
かぐや姫の代表作と言ったらやはり神田川になると思います。
この赤ちょうちんは今となっては取り上げられることは少なく、このままでは忘れ去られていく運命にあるような気がしています。
けれど僕には赤ちょうちんの方が神田川よりもっとまっすぐに心に迫って来ます。
あなたと別れた雨の夜 公衆電話の箱の中 膝を抱えて泣きました
生きてることはただそれだけで悲しいことだと知りました
思うに、神田川の方は別れてから時が経って、今は別な決して不幸ではない暮らしをしているひとが、あの頃を追憶しているという感じがするのですが、赤ちょうちんでは別れから時が経っておらず、まだ癒されていない悲しみがせつないほどの切迫感を持って伝わってくるのです。埋もれさせては惜し過ぎます。
まだ学生だったあの頃、こんな生活に憧れたものでした。できなかったけど。
5 祭りの後 吉田拓郎 1972
そして、やはり吉田拓郎です。
祭りの後はCBSSONYに移籍後第1弾のLP「元気です。」(1972年7月21日リリース)に収録されています。
これはオリジナルではなく、いつのものかわからないのですがライブ版です。
この曲の作詞は拓郎ではなく岡本おさみさん。
日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない
日々を慰安が吹き抜けて 死んでしまうに早すぎる
もう笑おう もう笑ってしまう
昨日の夢は冗談だったと
詞が凄すぎます。
拓郎はライブでは毎回違ったアレンジで演奏するのを常としていますが、
この演奏ではオーケストラによる荘重な挽歌のような響きが曲に合っているように思います。
6 吉田拓郎版ファイト
ファイトは言わずと知れた中島みゆきさんの曲です。
拓郎はここでは中島みゆきへのリスペクトをこめて、気迫に溢れた腰の座った、単なるカバーに終わらない拓郎のファイトを歌っていて一聴の価値があると思います。
7「あなたの夢が叶いますように」中島みゆき伝説の「ファイト!」―〈阪神大震災〉
上の拓郎版ファイトの動画の字幕の中で、中島みゆきさんのファイトが生れたきっかけのはなし、また1995年1月に起こった阪神大震災の後、4月に大阪城ホールで行われたのみゆきさんのコンサートのアンコールでこの曲が歌われ、それが肉体の限界まで振り絞った歌だったという話が流れていて、そのコンサートについては全く存在を知らなかったのですが、それが一体どんなものだったんだろう、聴きたかったという思いに駆られました。
そして、ユーチューブで拓郎の歌が終わった後、次に流れてきたのが、まさにみゆきさんの、その伝説のファイトだったのです。
震えました。
これを聴いて泣けない人は人間ではないですね。
みゆきさんがそのパワーを全開したときの絶唱がどのくらい凄いのか、その思いの強さ、パワーの物凄さは単なる人間の枠を突き抜けてしまっているようにさえ思えます。世界にも比肩するものない最高の歌い手だと思います。
この貴重な動画をUPしていただいた方には感謝感激です。
8 地上の星/ヘッドライト・テールライト 中島みゆき 2000年7月19日
この2曲は2000.7.19に両A面でリリースされたみゆきさんの37枚目のシングルで、地上の星はNHK「プロジェクトX」のオープニングで、ヘッドライトはエンディングで使われて大ヒットし、日本中の技術者たちが勇気付けられました。
どちらも凄い曲であり歌唱だったと思います。
私自身、この曲を唯一の心の支えとして闘っていた一時期があったことを傷みと恥ずかしさの中で思いだします。
9 終わりに
この頃若い人の中で昭和歌謡が流行っているというような話をたびたびテレビで見かけますが、フォークソングについてはまだまだ埋もれたままのように感じます。
1970年代のあのフォークの時代の名曲たちを若い人たちが聴いてどのように感じるのか知りたいと思います。
フォークの時代の歌の話、一旦筆を置きますが、次回は山崎ハコさんとかについて語ってみようかなと思っています。