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ふれる側の自覚をもつ【ボディワーク】

こんな本を読みました。

 以下、引用になります。

「つまり、多様性という言葉に安住することは、それ自体はまったく倫理的なふるまいではない。そうではなくて、いかにして異なる考え方をつなぎ、違うものを同じ社会の構成員として組織していくか、そこにこそ倫理があると言うのです。
…さわる/ふれることは、避けようもなく「他人のことに口を出す」行為なのです。他者を尊重しつつ距離をとり、相対主義の態度を決め込むことは不可能。この意味でさわる/ふれることは、本質的に倫理的な行為だと言うことができます。」(p47)

 体を整えることは、その人に「手を加えること」と同義であるため、気づかずにその人の見られたくない部分や触れられたくない部分に手を伸ばすこととなるかもしれないと感じています。

その覚悟をした上で、整える側が自分のあり方を持ち、関わる必要があると思います。
また、整える側として自分が、相手への「信頼」を持って関わることも重要なのだと思います。

この本では、信頼をこのように定義していました。

「信頼は「相手のせいで自分がひどい目にあう」可能性を自覚したうえでひどい目にあわない方に賭ける、ということ」

それを持たない為に、整える側も整えられる側も戸惑いの中に入り込んでしまうと、取り返しのつかない状況になる可能性があると思います。

 それくらい「触覚」という感覚は、様々な想起を生む豊かな感覚なのだと思います。

生きることに豊かさを与えてくれる「触感」を養うことは人にとって重要だと思います。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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