隠してたイメージ
歯医者の麻酔ができない。正確にはしてくれない。血圧が高くなり、上が200を超えるため。
血圧計を手首に巻かれると、途端に苦しくなる。心拍が上がり、胸がキューっとなる。
やばい。これがその時の気持ち。何がやばいのか、その時はわからない。
でも、後になって思い起こすと、先生に麻酔をしてもらえなくなることがやばい。だから血圧が上がったらダメ。
それと、先生に嫌な顔をされる、飽きられる、見捨てられる、という幻想によって支配されている。
以前に麻酔ができた時は、麻酔をできたことが安堵感につながり、血圧も下降していった。
そう考えると、麻酔が目的ではなく、麻酔を打つためにいかにスムーズに先生に認められてそこを乗り越えるか、これが重要なファクターになっている。
カウンセラーの先生は、これはフォービアだという。扁桃体が異常に反応するようになっているので、それを断ち切る練習が必要だという。
以下がフォービアのワーク。
これを実践すると、また違った事実に気づく。
やはり、自分は麻酔が怖い訳ではない。以前のEMDRでそれは克服している。
一番、嫌な場面は血圧計を手首に巻いて、スタートボタンを押されると、キューっと締まっていくところ。ここで、ドキドキが最大になる。そこからは、ドキドキよ治れ、治れ、収まれ、と心の中で念仏のように唱えている。なぜか?先生のガッカリした言葉、自分を見捨てるような言葉、言動、そして、自分で自分を貶める言動、それらが混じったイメージで心がダメージを受ける。それが嫌。
ところで、フォービアのワークの中にある安全安心を保つイメージで、自分としては一つのイメージを想像していた。それは、大きな窓があるリビングルームで、窓の向こうには明石の海が間近に見え、部屋にはグリーンがいっぱい置いてある。そんなリビングで海風が心地よく部屋をすり抜ける中、ゆったりと風を感じながら瞑想している自分。
ただ、それは今現在、購入しようと思っている家と近いイメージで、購入できなければそのイメージが崩れそうな感覚がある。不安定。
そこで、本当に安心安全な感覚を抱けるのは何なのか、考えた。心の奥底にしまってあること。それは、自分でも気づきながらも認めたくはない事実。。。
オカン。母親に包まれているイメージが最も落ち着く。
いつの間にママと呼ばなくなったのだろう。いつの間に恥ずかしいと思うよになったのだろう。
いまだに恥ずかしいという気持ちがあり、これを書くにあったてもところどころ躊躇する。誰に?自分に?
イメージとして最も落ち着くのは、自分が赤ちゃんのように丸まってママの膝下、もしくは近くにいるとき。丸まって、というのがポイントの一つで、もう一つは近くにママの存在を感じること。
このイメージを自己開示するには大きな勇気が必要。マザコンのレッテルを貼られる。誰に?自分の家族。そうか、自分の家族以外には開示できるかもしれない。開示する必要はないけど。自分への開示が必要で、気づいたのは良いが、この躊躇する気持ち、モヤっとする気分、誰かに何か突っ込まれるのではないかという恐れ、これを払拭できた時初めて自分に対して開示できたというのであろう。
今はまだ、何かと理由をつけて安心イメージに登場させているに過ぎない。
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